俺の人生は、四毛作目に入った

ただし、仕掛けがあまり早すぎてもうまくいきません。私は、これからはテクノロジーの時代だと、80年代にロボットタレントを開発したり、初音ミクが登場する10年以上も前に3DCGのバーチャルタレント「伊達杏子」をデビューさせたりしたのですが、いずれも失敗に終わりました。どうやら半歩先ぐらいがちょうどいいみたいです。

ホリプロ創業者 堀威夫氏

私は還暦を迎えるにあたって、この先80歳まで生きるなら残りの20年はまったく違う人間になろうと決めました。そこで「人生二毛作」というキャッチフレーズを掲げて、自宅、ゴルフセット、ゴルフのスイングと、片っ端から変えたのです。女房以外はすべて新しくしたと言っても過言ではありません。通勤もそれまでの車をやめて、家から会社までの約2キロを歩くことにしました。それはいまも続けています。86歳でゴルフのエージシュートを達成できたのも、このとき一念発起して徒歩通勤に切り替えたおかげだと思っています。

節目だからといって自分の考え方や価値観を変えるのは簡単なことではありません。それでも、無理やりにでもやってみると、これまでとは別の世界が見えてきます。人生を2度生きられるのですから、やらない手はないでしょう。

そういえば百恵や郁恵も、まさに人生二毛作です。和田アキ子がここまで長く芸能界で活躍できているのも、途中でそれまでの歌中心という生き方から軸足をトークに移したからにほかなりません。別に私がアドバイスしたわけではありませんが、彼女も人生二毛作を上手に実践していたのです。

さて、2020年6月で私はホリプロのファウンダー最高顧問を退任しました。80歳が終点だと思って人生二毛作を決め込んでいたら、続きがあったのです。これまでの人生を振り返ると、音楽の表舞台で10年、裏方で60年、さらにその途中で60歳のときに1度区切りを入れているから、正確には今度が四毛作目になります。盟友だった大橋巨泉は50代でセミリタイアだといって仕事をやめ海外に移住したけれど、さすがにそこまでの勇気はありません。ただ、肩書のない素浪人は初めてです。そういう立場でどんな挑戦ができるか、いまからワクワクしています。

(構成=山口雅之 撮影=石橋素幸 写真=時事通信フォト)
関連記事
夜の繁華街に行きたい従業員を、トヨタの「危機管理人」はどう説得したのか
妻子を捨てて不倫に走った夫が「一転して改心」した納得の理由
ローマ教皇が「ゾンビの国・日本」に送った言葉
なぜNiziUは世界を興奮させるのか…日本のエンタメが「韓国に完敗」した理由
「コンビニは敵ではない」急成長シャトレーゼの60円アイスがやけに美味いワケ