日本のマスク文化は欧米のまねから始まった
こうした欧米諸国における市民によるマスク着用はその後すぐに日本に紹介され、日本政府のインフルエンザ対策に取り込まれることとなったのです。
1922(大正11)年に内務省衛生局が刊行した『流行性感冒』を開くと、当時の日本政府が多くの国々の事例を参考にしていたことがわかります。
この『流行性感冒』では、欧米諸国におけるスペイン・インフルエンザ感染予防策とインフルエンザ感染に関する最新の研究成果の紹介にかなりのページを割いていて、その上で日本国内のインフルエンザ感染予防対策を解説しています。
ここで奨励されている感染予防対策は、ワクチン接種、含嗽(うがいの意味)、そしてマスクの着用です。インフルエンザ・ウイルスがまだ発見されていないこの時代の「インフルエンザ・ワクチン」とは肺炎などの二次感染に備えたものでありました。
マスクの着用は、市民にマスク装用を義務付けたサンフランシスコの「マスク令」のことが紹介されており、健康な個人による感染予防策として奨励されています。
ちなみに、この時代の予防対策にはまだ「手洗い」がありませんでした。手洗いに関するガイドラインが制定され、公式に健康管理の一環とされるようになったのは、なんと1980年代になってからなのです。
日本にマスクを浸透させた内務省の知恵
日本においては比較的すぐに受け入れられました。インフルエンザ予防として健常者のマスク利用が始まったのもこの頃です。
当時の新聞記事を見ると、スペイン・インフルエンザ直後の1920年末、再度インフルエンザ予防としてのマスク着用が浮上しています。1922年には、空気の乾燥から喉を守るためのマスク着用が進められるなど、インフルエンザ感染予防以外の、新しい使用目的が散見でき、マスクが社会に浸透している様子がうかがえます。
その理由として日本の伝統的な疾病観とマッチした形でマスクが啓蒙され成功したのではないかと推測します。風邪やインフルエンザについていえば、江戸時代まで「風」と書き、文字どおり自然界をかく乱する「風」と同じ現象が、体の中に生じていると考えられていました。そのため、当時の人々は風に当たることを極力避けていました。
そうした感覚は大正時代にもまだ残っていました。1920(大正9)年から1922(大正11)年にかけて内務省衛生局はインフルエンザ予防対策啓蒙のポスターを全国に配布します。
そのポスターは近代医学が「風の神」を追い払うというストーリーを描いており、その近代医学の一つとしてマスクが従えられているのです。マスクは近代的な響きを持ちながらも、伝統的な疾病観と折衷されたからこそ、日本社会に浸透したのではないでしょうか。