こうした子や親と話していると、未成年に強要して違法行為をさせたり、女性を脅してアダルトビデオに出演させるようなアウトローと、なんら変わらない思考回路の持ち主だということがわかる。そんな加害者とのぶつかり合いを経て、被害者は自らの常識や許容範囲を超えた、到底受け入れられないような別次元の考えを持つ人物の存在に気づくのだ。
ところが、クラス主義で団体行動を基礎とする学校社会では、このような危険な人物がいても、いじめの被害者は彼らと同じ空間で、表面上は仲間として過ごす事を強要される。法律上は、未成年の犯罪行為は刑法犯としては裁かれることはない。だが、いじめの加害者のしていることは犯罪行為と何ら変わらないのであり、被害を受けた者の心身の痛みは、法の定めとは無関係に、犯罪被害を受けた者と同じなのである。
それが、被害者が子どもだからという理由で、容易に癒やされたり回復したりするものだと考えていいのか。答えは否である。
大人になっても残る心のダメージ
いじめ事例ではよく、学校が介入して加害者による「謝罪の会」を急いでセッティングしようとして、被害者側がこれを「時期尚早」と拒否するケースがある。これこそ、学校側も加害者側もいじめ被害を軽く見ているから起きる事態だ。いじめの被害が、冒頭に述べたように犯罪被害となんら変わらず、被害を受けた者の心身の痛みも同等だと考えることができれば、学校も加害者もこんな愚かな対応はしないだろう。だが、実際にはこうした無神経な対応が無数に行われている。
被害者の心のケアなどについても、ほぼ無整備といえるくらい具体的な体制がない。いじめによる心理的ダメージは、被害者によって個人差があり、いじめ行為の状況によっても大きく異なる。そのためか、被害者に向かって「いじめへの耐性をつけるべきだ」とか「強くなれ」と要求するような、誤った指導も横行している。
私はあるSNS(会員制交流サイト)で、元いじめ被害者のコミュニティに参加しているが、30代を過ぎてもいじめのトラウマ(心的外傷)に悩み、心が壊れてしまったり、社会人として就業ができなかったり、人との距離感がうまく取れずに悩み続け、常に重いストレスの中で生活していたりする方が多数いることを実感している。