もし日本に核兵器があったら米国は原爆を使ったか?

繰り返しになるが、政治選択とは、現状と新しい試みのどちらのほうがよりましか、という選択であることを肝に銘じなければならない。

核兵器がある現状と、核兵器がなくなった将来の状態とでどちらがよりましなのか。

戦争のない世界の実現に責任を負う政治家は、どちらのほうが大国間・強国間の大規模な戦争が発生しないのかを冷静に現実的に判断する必要がある。無責任な者は、一見、かっこいいほう、理想的なほう、誰もが疑わないほうを選択して、その結果、現実的な弊害が生じて大慌てする。

これまで僕は歴史などを勉強しながら、その道の専門家と言われる人たちに、次のような質問をぶつけ続けてきたが、明確な回答をもらったことがない。

・第二次世界大戦当時、日本が核兵器を保有していたら、広島・長崎に原爆が落とされなかったのではないか。都市部の住宅地への無差別爆撃・空襲は行われなかったのではないか。

・そもそも太平洋戦争(対英米戦争)開戦当時に日本が核兵器を保有していたら、開戦に至るまで日本は追い詰められなかったのではないか。どこかで双方の譲歩が成立したのではないか。

この核兵器の有効性を確かめるような僕の質問には、その手の専門家から明確な答えをもらったことがない。つまり堂々と有効性を認める専門家もほとんどいなければ、逆にきっぱりと有効性を否定する専門家もほとんどいない。ということは専門家の間では核兵器の有効性は完全に否定されているわけではないんだよね。核兵器を何の疑念もなく全否定しているのは外交や安全保障の専門家ではない人たちなんだ。思想家、音楽家、女優・男優……。

核兵器の有効性を考えるにあたっては、「力」というものについて少し深く考える必要がある。一般的には大国・強国間の力と力が均衡していたら大規模紛争は生じないとされている。力と力で均衡が取れているのだから当たり前だよね。

このような力の均衡を一国の権力の暴走を抑えるために利用したのが、権力分立という仕組みだ。だからそもそも権力分立とは「力」というものを信用するものだ。力に対して力で抑える。信用や信頼だけでは権力の暴走を抑えることはできないという冷静な現実的な認識。この点朝日新聞や毎日新聞そして自称インテリたちは、一国内においては権力分立という点で力の有効性を全面肯定するのに、それが国と国との力関係になると力の有効性を肯定しなくなるのはなぜなのか。

日本が核兵器を保有していたとしたら、アメリカは広島と長崎に原爆を落としたか。無差別爆撃・空襲をしたのか。僕はそれはなかったであろうと認識している。そもそも太平洋戦争に至るまでアメリカがあれだけ強気になることはなかったと思う。開戦に至る前にどこかで譲歩し合って妥協が成立していたであろうと考える。このような僕の考えは、力=核兵器の有効性を認めるものである。

もし核兵器に何らの有効性もない、核兵器は絶対悪だと言うのであれば、日本が核兵器を保有していたとしても、アメリカが広島・長崎に原爆を落とし、無差別爆撃・空襲をしたであろうことをきちんと論証してもらいたい。その論証がなければ核兵器には一定の有効性があることを認めたことになる。(ここまで約3200字、メルマガ本文は約9800字です)

(略)

※本稿は、公式メールマガジン《橋下徹の「問題解決の授業」》vol.83(12月12日配信)を一部抜粋し簡略にまとめ直したものです。もっと読みたい方は、メールマガジンで! 今号は《【続く北朝鮮危機(2)】核をなくせば逆に大戦争のリスクが! 無責任に核廃絶を叫ぶ前に考えるべきこと》特集です!!

関連記事
橋下徹"藤原帰一氏の対北論は疑問だらけ"
橋下徹「彼らに足りないのは石原さんだ」
"9条"と同時に改憲すべき"76条"とは何か
核兵器をもつ北朝鮮にどう圧力をかけるか
改憲に「自衛隊」の3文字が必要ない理由