たとえば警察は県、消防は市、水道も市が責任を持つというのが基本線のようだが、東京では都が水道局を管理している。日本全国でパターン化されていないから、水道料金が市によって4倍も違ったり、ゴミの収集や分別方式がバラバラだったりするのである。
曖昧模糊とした統治機構のまま今日まできたことは、日本の社会をさまざまな面で歪ませてきた。その歪みが行き着いた先の一つが、「高齢者介護」の問題である。
高齢者の面倒を見る、老人福祉・介護・医療の行政サービスの責任は市、東京都でいえば区にある。
たとえば自宅での療養が難しく、常に介護が必要な65歳以上の高齢者を受け入れる特別養護老人ホームのような施設でサービスを受ける場合、当人は1割負担で、あとは住民税を徴収している市と国が費用を負担する。その財政負担が非常に大きいために、どこの自治体も高齢者を受け入れたがらない。温暖で風光明媚な場所を見つけて老後をそこで迎えたいと思っても、市としては介護に金がかかる高齢者の移管はウエルカムではないのだ。
私はアクティブシニアタウンをつくる構想を持っていて、全国を行脚して土地を探しているが、なかなか話が進まない。埼玉県秩父市に素晴らしい土地を見つけたのだが、県知事は「人も増えるし産業にもなる」と理解を示してくれても、負担の当事者である市長はノーという。モデルケースとなる第1号の建設が今ほぼ終了したところだが、その市との交渉に数年かかった。
今年3月、群馬県渋川市の高齢者施設「静養ホームたまゆら」で火災が発生し、入所者10人が死亡する事件があった。この事件も、行き場のない高齢者と、それを持て余して地方に押し付ける福祉行政の実態が浮き彫りにされた格好だ。というのも、この渋川の施設、入所者の多くは東京都墨田区からの紹介だったのだ。
墨田区にはケア付き住宅がなく、区内の老人ホームは満員状態。墨田区は生活保護費の負担と引き換えに、区外の施設に高齢の生活保護受給者を送り込んでいた。その一つが「たまゆら」だったのである。