「心の垣根」が新商品の芽を摘む

同友会には2年近くいた。代表幹事の2期目(1期2年)は後任に任せ、社長室長に戻って、国内外での合併・買収(M&A)を担当する。続いて事業開発室長兼新市場開発部長となり、新規事業の具体化を進めた。「会社の明日のために」の色彩が、さらに鮮明になっていく。

2005年3月、社長になったときに、若い社員たちに「新しい仕事をやるときに、いままでの仕事は、この仕事のためにあったのだと思った。ずっと、そう思って、やってきた」と話した。本当に、何度も、そんな場面に遭遇したからだ。

ドイツでの仕事も、そうだ。主力製品は、反射鏡とランプをくっ付けた商品。20代の終わりに、登場したばかりの8ビットマイコンを使って、8ミリ映写機の光源にするハロゲンランプと反射鏡の位置を自動的に合わせるプログラムをつくった。反射鏡の焦点の位置に、ランプをきちんと固定しないと、きれいな像が映せない。それまでは、8ミリの映像をみながら、自前でつくった道具を使って位置合わせをやり、セメントで固定していた。その位置合わせの構造が、偶然とはいえ、ドイツで要求されたものと全く同じだった。

いままでやってきたことが、次の職務の下地になるためには、どんな新しいことにも、常に心の垣根を低くしていなければならない。メーカーにとって最も大切なことは、強い商品の芽をいち早くみつけ、大きく育て、顧客を満足させるとともに、確実な利益を上げることだ。それには、どんな対象でも素直に取り込んで、冷静に評価することから始めなければいけない。こちらは、取締役に選ばれた直後に社内報に書いた。

心の垣根を低くすることは、高校時代に出会った本に「これからは光技術だ」とあり、なるほどと思ったときに始まる。以来、専門的で難解な本よりも、読みやすい概論書を多く手にしてきた。そのほうが、自分の得意な分野でなくても、少しは頭に入る。何かのとき、そのことに出会っても、「初対面」ではないからスッと入っていきやすい。やはり、何でも食わず嫌いはやめて、1度は食べてみたほうがいい。

入社以来、多様な経験を積ませてもらったなかで、これらのことを、確信した。どこかで、「世有伯楽」がみていてくれた結果だろう。

ことし4月、経済同友会の副代表幹事に就いた。代表幹事の秘書時代に、会社を離れた位置からの発信に
「経済人の責任とは、こういうことか」と知った。話でも原稿でも、簡潔に、要点を伝えることの大切さも学んだ。

牛尾流は、結論だけを言い、あまり説明はしない。それで「どう思うか、答えを出せ」と迫られた。「これは、違うな。放っておくと危ないから、言わざるを得ない」と思えば「それは、違うような気がします。こうではないですか」と指摘したこともある。そんなとき、「決めたのだ、もう言うな」と打ち切られはしても、「黙れ」とか「うるさい」と叱られたことは、1度もない。

自分もそうなるか、どうするか。誰かにとっての「世有伯楽」と、なれるのか。最近、同友会時代に力を合わせて仕事をした後輩が「菅田さんも、結論から言えという流儀が出てきた。どうも、社風になったようだ」と笑って言った。

(聞き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)
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