予想外だった家治の早すぎる死

「べらぼう」ではこのところ、幕府のなかでも庶民のあいだでも、田沼政治への不満が噴出する様子が描かれてきた。浅間山の噴火や天明の大飢饉による米価高騰や社会不安も重なり、不満は募るばかりの状況になっている。

この状況は田沼政治の転覆を願い画策する人たちにとって、好ましい状況だが、とはいっても家治が健在であるかぎり、田沼政治は続きそうである。しかし、家治にもしものことがあれば……。

家治は意次より18歳も年下だった。家治が若いので年長の意次の地位は、生涯をとおして安泰であるように見えていた。ところが、家治は天明6年(1786)の8月に入ると、突然重い病気にかかり、間もなく数え50歳、満49歳で死去してしまったのである。