名匠、深作欣二の怒り

稔侍が業界のスタッフたちに知られるようになったのは1975年の『新仁義なき戦い 組長の首』だった。主人公の弟分を演じた時である。

野地秩嘉『東映の仁義なき戦い 吹けよ風、呼べよ嵐』(プレジデント社)
野地秩嘉『東映の仁義なき戦い 吹けよ風、呼べよ嵐』(プレジデント社)

78年の高倉健主演の映画『冬の華』ではセリフはなかったが、高倉を慕う板前の役でスポーツ新聞に「小林稔侍が抜群だ」と批評が出た。本人は嬉しくなって近所の駅の売店まで走って行ってスポーツ紙を買い占めた。以後、バイプレーヤー、主演として映画、テレビで活躍した。高倉健の陰に隠れているが、小林稔侍は息の長い名優だ。それでも彼は前へ出る芝居はしていない。

小林が仕出しだった頃、深作はテレビ映画『キイハンター』(1968年~73年)を演出していた。『仁義なき戦い』を撮る前のことである。

深作が東京撮影所のなかを自転車に乗ってステージを移動していた時のことだ。照明部のスタッフが「深作さーん」と呼びかけた。

「深作さん、あんな小さいの(テレビ)ばっかり撮っていないで、早く大きいの(映画)撮ってよ」

そのスタッフは持ち上げるつもりで声をかけたのだが、深作は激怒した。小林は深作がそれほど激しく、真剣に怒った様子を初めて見た。深作は乗っていた自転車から飛び降り、自転車を道路にバシーンと叩きつけた。体を震わせて叫んだのである。

「お前、もう一度、言ってみろ。小さいのが撮れなくて、どうして大きいのが撮れるんだ!」

鬱屈していたこともあった。それでも深作はテレビをバカにしてはいなかった。映画もテレビも同じ映像の仕事だと誇りに思っていたのである。

海外ロケのときの高倉と小林の貴重なショット
写真提供=鈍牛俱楽部
海外ロケのときの高倉と小林の貴重なショット