映画史でも類のない「待ってました! 健さん」の掛け声
「待ってました、健さん!」
「日本侠客伝」で一般のファンに演技を認められたのが高倉健だ。だが本人は少しも自分の演技に満足していなかった。晩年まで親しくしていた札幌の寿司店「すし善」社長、嶋宮勤が「やくざ映画の頃から演技がうまかったですね」と話しかけたら、本人は「あんなもの演技でも何でもない。人に褒められるような芝居じゃない」と答えた。
しかし、学生、若いサラリーマンは満足していた。健さんファンは殴り込みのシーンになると「待ってました」「健さん!」とスクリーンに向かって声をかけたのである。
「観客がスクリーンに映る俳優に向かって叫ぶなんてことは、これまでにはなかった」(降旗康男監督)
高倉健は酷使されていた。同じようなストーリー展開の映画に出ることにも飽きて疲弊していた。眠ることもままならないスタッフを見ていて、「これじゃあ、まともな映画なんか作れるはずがない」と思うようになっていった。
東映をいつかやめようと考え始めたのは『日本侠客伝』『昭和残侠伝』『網走番外地』という3つのシリーズを掛け持ちしていた頃からだ。心身をすり減らし、映画の内容、質にも満足がいかなかった。
高倉は主役だったから「今のシーンをやり直したい」と言える立場にあった。だが、もし、撮り直しになったら、睡眠不足のスタッフが事故を起こして怪我をする。それを思うと、撮り直しを要求することはできなかった。「健さんはねばるのが嫌いだ」「一発OKじゃなければ芝居しない」と言われるようになったのは、本人のわがままではない。高倉だって不本意な演技をそのままスクリーンに投影されるのは困る。しかし、不眠不休で働くスタッフを見ていると、「やり直し」を言えなかった。スクリーンに映った不本意な演技を見て、「あんなもん演技じゃないんだ」と語ったのはそのことが頭にあったからだ。映画はひとりで作るものではない。チームワークだから、主演スターはスタッフの体調までわかっていなくてはならない。
だが、本人が不本意と思った芝居でさえ、彼が出た映画はヒットした。彼を「大根役者」と呼んだ映画評論家は何人もいる。だが、その人たちは高倉が不本意な芝居をした映画を見たのだろう。また、そもそも「大根役者」の意味をわかっていない。大根はあたらない野菜であり、そこから「大根役者とはヒット映画のない役者」をいう。正確を期すると高倉健は大根役者だったことはない。
高倉の魅力は我慢に我慢を重ねたうえに立ち上がる、歌舞伎で言う「辛抱立役」の演技だった。任侠映画は時代背景が明治以降になっているだけで本質は東映の時代劇だ。ストーリーも出てくる人間たちも恋愛もコメディ要素も時代劇と変わらない。衣装は男女ともに着物で、女性は日本髪のカツラをつける。時代劇との違いは刺青師の仕事が増えることぐらいだろう。東映が任侠映画の量産に進んだのは時代劇の衣装、道具、スタッフがそのまま使えるからでもあった。
そして任侠映画の主役をやるようになってから、高倉は無口で禁欲的で任侠道を貫く男という像を壊さぬよう私生活を送るようになった。笑わない男としての像が確立してしまったため、気を許した人間以外には笑顔を見せなくなった。映画スターの生活は気楽なものではない。
「小林と呼び捨てにしてほしかった」
そんな高倉健の素顔を見ていた幸運な俳優が小林稔侍だ。
仕出しの俳優には前もって撮影スケジュールが届くわけではないから、掲示板を確認することが日課になる。
「今日はちんぴらやくざか」とわかったら、衣装部へ行って、やくざの服装に着替え、雪駄を履いて、撮影に備える。通行人だったら、サラリーマンの服を着て撮影の間、道を行ったり来たりする。毎日がその繰り返しだ。そんなある日、撮影所の廊下で高倉健とすれ違うことがあった。
目が合ったので、小林が頭を下げたら、すれちがいざまに「小林くん、頑張れよ」と高倉健がささやいた。
稔侍は天にも昇る気持ちになった。スターの高倉健が「自分の名前を憶えていてくれた」。しかし、ちょっと残念な気持ちもした。
「小林と呼び捨てにしてほしかった」
呼び捨てにされた方が親しい関係に思えたからだ。
後に彼は高倉のことを親しくなった人間だけに語るようになる。
「僕はあの人の地味なところが好きだった。親しくなってから、僕は稔侍と呼ばれるようになりました。健さんのことは旦那と呼びました。旦那から言われたことがあります。
『俺とお前は友だちだから、付き人みたいな真似だけは絶対にするな』と。健さんが手に持っていたバッグを『旦那、持ちましょうか』と言っても、そうはさせなかった。
仕出しの頃、他のみんなと健さんの映画に出ました。すると、みんな緊張するんです。任侠映画の当時、健さんにインスタントコーヒーを注いでもらうとします。現場で紙コップにですよ。すると、コーヒーを飲んでから、紙コップをスッと持ち帰ったやつがいるくらい、健さんは人気とカリスマ性があった。僕とでは月とスッポンですよ。それでもあの人、普段は自分を殺して歩いているから気づかれないことがある。
撮影所のなかをふたりで歩いていて、『稔侍さん』って、ごくたまに若い子に声をかけられることがあるんです。僕が多少、人に知られるようになってからですけどね。先に声がかかると、僕はもう地の底へ潜りたい気持ちですよ。すると、後で、『稔侍、お前、派手なんだよ。目立ち過ぎなんだよ』と怒られる。あの人、目立つのが嫌なんです。芝居でも前に出る芝居じゃないんです。必ずすっと一歩引いてる芝居をする。そうして、一歩引いて、周りを観察している」
小林は知らず知らずのうちに高倉健の芝居を真似するようになった。仕出し役者であり、有名な俳優でもなかったのに、さらに気配を殺した演技をするから、まったく目立たなくなった。


