一家全滅の屋敷跡を訪ねても、だれも話したがらない
海勢頭さんがこの歌をつくるきっかけとなったのは、日本復帰後10年目に当たる1982年6月初旬のことだ。地元テレビ局・琉球放送(RBC)の慰霊の日の報道特別番組が企画された。海勢頭さんは番組で流す曲作りを依頼され、レポーター役も任され、冒頭の糸満市米須や、国吉、喜屋武などの「一家全滅の屋敷跡」が残る集落を訪ね歩いたという。
沖縄戦当時、1歳半だった海勢頭さんに沖縄戦そのものの記憶はない。取材をしていて胸が痛んだという。当時、現地を訪れた時の心境などについて、海勢頭さんに話を聞いた。
「米須周辺には当時、そういう屋敷跡が多く残っていた。そこで、近所に住むおじいさん、おばあさんに話を聞くんだけど、『戦世(いくさゆー)の話はならん』と言って固く口を閉ざされ取材にならない。番組の企画はとてもいいが、地獄の戦争で九死に一生を得てきた人たちです。当時を思い出して語ってもらおうというのはつらい仕事でした。近くに地元の人たちが避難したガマ(自然壕)があると教えてもらい、その周辺で取材して何とか番組をつくりました」
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