皇室典範特例法の付帯決議が求めるもの
天皇陛下の退位を実現する皇室典範特例法は、6月の国会で成立した。付帯決議で、「安定的な皇位継承を確保するための諸課題、女性宮家の創設等」について、法施行後、速やかに検討するよう政府に求めている。
宮家は、「宮号」と呼ばれる家名で、結婚したり、独立したりする時に天皇から贈られる。秋篠宮や常陸宮がこれに当たる。
これに対し、野田内閣が創設を検討した「女性宮家」は、皇室に生まれた皇族女子が結婚後も皇室に残ることを可能にするもので、皇室典範の改正が必要になる。
皇族女子の結婚で皇籍離脱が続けば、皇族が分担している公務の遂行に支障が出てくる、という問題意識もあった。
付帯決議をめぐっては、民進党が「女性宮家」の速やかな検討を求めたのに対し、自民党は父方が天皇の血を引かない「女系天皇」につながりかねない、として女性宮家の明記に強く反発した。
このため、妥協の産物として、皇位継承と切り離す、と読める表現で決着した経緯がある。
万世一系は側室たちに支えられていた
だが、安定的に皇位を継承するには、女性・女系天皇や女性宮家を認めるべきか、という議論も早晩、必要なのではないのか。
2005年の小泉内閣の「皇室典範に関する有識者会議」は、女性・女系天皇に道を開く報告書をまとめた。側室制度が廃された以上、男系継承が行き詰まるのは時間の問題だという認識だった。
06年9月、秋篠宮ご夫妻の長男悠仁さまが生まれ、議論が止まったが、これは問題から逃避したに過ぎない。天皇陛下の孫世代の皇族男子は悠仁さま1人だ。皇太子に就く段階で、宮家皇族がだれもいなくなる可能性もある。
皇統は、125代の今上陛下まで、一貫して男系で続いてきた。だが、政府資料によると、明治天皇以前の121代の天皇は、嫡出が66代、非嫡出が55代だった。万世一系の奇跡は、側室たちに支えられていたとも言える。
明治天皇も、大正天皇も、非嫡出だった。明治天皇は美子皇后のほかに5人の側室がいた。男子5人、女子10人が生まれたが、10人が早世し、男子で成人したのは、大正天皇のみだった。
1889年に制定された皇室典範(明治典範)では、非嫡出子も皇位継承資格を有した。「皇嫡子孫」「皇庶子孫」という言葉を用い、「嫡出ヲ先ニス」と規定された。1947年の現行典範では、嫡出子に限定している。
大正天皇の貞明皇后が男子4人を産んだこと、昭和天皇が側室を拒んだことが背景にあるが、戦後の社会倫理などが反映された。
悠仁さまに頼り切っていいはずがない
安倍首相は、先月22日の参院本会議で、皇位の安定継承の方策を問われ、「男系継承が古来例外なく維持されてきたことの重みなどを踏まえ、慎重かつ丁寧に検討する」と述べるにとどめている。
首相は、かつては、現行典範制定時に皇族の身分を離れた旧宮家の男系男子孫の皇籍復帰を検討すべきだ、という立場だった。
70年前に皇籍を離脱したのは、山階宮、賀陽宮など11宮家の51人で、男子は26人いた。今上陛下との関係は、600年前に遡る室町時代の伏見宮貞成親王を共通の祖先とするものだという。

