おでんを煮込むようになったのは明治時代

【飯野】煮込みおでんに発展するのは明治時代です。八つ頭やすじ、ちくわといった練り製品も具になります。もともと、江戸時代から練り製品の技術があり、はんぺんもつくっていましたから、おでんを煮込むようになって加えたのでしょう。

明治時代のおでん屋台
『太平洋』明治36(1903)年12月[出所=『江戸呑み 江戸の“つまみ”と晩酌のお楽しみ』(プレジデント社)]

【久住】僕がおでんを最初に食べたのは家庭の食卓だけど、生まれ育った三鷹では公営プールの隣におでん屋がありました。当時は1本10円とかでおでんを買って。子どもながらに、プール上がりのおでんが楽しみでしたね。

【飯野】明治三六年一二月の史料の図版があります(右)。こんな光景だったのでは。ご覧のように煮込みおでんの普及とともに、おでん売りの看板は「煮込み」と書かれるようになりました。

【久住】もつ煮込みじゃないですよね?(笑)

【飯野】江戸時代の田楽味噌のおでんと区別する意味で煮込みおでんとしていましたが、そのうちにおでん=煮込みと認識され、「煮込み」の文字が取れていきます。図版の史料にはこんなふうに出ています。

『江戸呑み 江戸の“つまみ”と晩酌のお楽しみ』(プレジデント社)
『江戸呑み 江戸の“つまみ”と晩酌のお楽しみ』(プレジデント社)

「焼豆腐、飛竜頭がんもどき、蒟蒻、八つ頭、蒲鉾、するめ、姥貝うばがい、すじ、玉子といった様なものと他に茶飯を添へてるものもあるが、此地ここの客は口が奢ってゐるなと思ふと其等これらのものの外に鳥、篠田巻、白瀧、鳥貝、蛸の櫻煮などの上物から口取くちとりまがひのものまで拵える、こうなるとおでんやもなかなか贅澤なもので、三四十銭ぐらいの財布をハタかせるのも造作もない」。

【久住】具の種類も格段に増えたようですね。

【飯野】図版の屋台には車輪がついています。江戸時代に屋台はありましたが、車輪がつくのは明治以降。種を増やしても運べるようになりました。

【久住】な~るほど。

(文=江戸呑み連中 料理=海原大「江戸前 芝浜」店主 撮影=大沼ショージ)