枝ごと売るから江戸では「枝豆」、京阪は「さや豆」
【飯野】『守貞謾稿』には、江戸と京坂の枝豆売りの違いが書かれています。江戸では、枝ごと懐いて売っているから「枝豆」。京坂は枝を除き、皮は取らずに肩に乗せて売るので「さや豆」と呼ばれます。売り声も「湯出さや、湯出さや」です。そして、涼しくなると、おでんと燗酒を売り歩き始めます。
【久住】おでん! 燗酒もセットで⁉ 向こうから売りに来てくれるとは、風情がありますねぇ。
【飯野】下の絵のように保温できる容器に燗酒を入れて、担いで売ります。テイクアウトすることも多かった。
【飯野】この頃のおでんは、こんにゃくや里芋を串に刺して湯に入れておき、注文が入ったら取り出して、味噌を塗って完成です。当時を再現したおでんを用意してもらいました。
【久住】どんな味噌を使っていたのでしょう?
【飯野】江戸の町では江戸味噌が流通していました。醸造が早く進むように麹の量を多くしたもので、結果的に甘味のある味噌になりました。
【久住】冷え込む晩など最高ですね。とくに一人暮らしにはありがたかったことでしょう。
【飯野】「アゝ、寒ひ晩だ。風鈴か、蒟蒻のおでんがくればいゝ」(『人心鏡写絵』寛政八〈一七九六〉年)なんて心待ちにされている様子が描かれています。
風鈴とは蕎麦売りのことです。冬だけでなく、旧暦の六月、今でいえば七月頃の夕涼みをするような季節になると、もう売り歩き始めていました。
【久住】かなり早いですね。では、今でいう煮込んだおでんが登場したのはいつ頃なのでしょうか。


