浮世絵もかつては美術品としての価値はなかった
たとえば、いま最もニーズが大きいB宝館の収蔵品は、日本初の携帯電話「ショルダーフォン」である。
このショルダーフォンは、現在そう簡単に借りられない状況だという。どこかのイベント会社が、展示用にNTTドコモから借り受けた際に壊してしまったので、それ以来、誰も借りられなくなってしまったそうだ。
ほかにも、日本初のウォークマンやデジタルカメラ、ポケベルなどもB宝館に引き合いがある。最近では、「80年代、90年代の青春グラフィティ」という百貨店のイベント用に、大量のラジカセを貸し出した。
意外なところでは、消費者金融会社が路上で配布したポケットティッシュのコレクションも貸し出したことがある。イベント担当者によると、ずいぶん探し回ったが、大量のコレクションを保有していたのはB宝館だけだったそうだ。
どんなものにアート性が潜んでいるのかを見抜く目が重要だというのは、昔から変わっていない。
たとえば、浮世絵は大衆向けの絵画で美術品としての価値はなかった。だから、日本の陶磁器をヨーロッパに輸出する際の梱包材として使用されていた。そして、受け取った荷物を開梱したヨーロッパの人が、その美術性に気づいたことで、浮世絵のいまの地位が確立されたのだ。
また、「根付」をご存じだろうか。和装の際、巾着や印籠箱などの紐に取りつけ、帯の下から上へ挟み込むためのストラップ・マスコットのようなものだ。
これも数十年前までは、ほとんど美術性を認められていなかった。だから骨董市で、二束三文で買うことができたが、いまや高いものだと数千万円の評価がついている。
目利きの力を使うビジネスも考えておく価値がある
何がアートで、何がゴミかを判断するのは、その人の感性にかかっている。目利きを可能にする感性を持つには、少なくともその分野のことが好きだということが最低限の条件だと私は思う。好きで好きでたまらず、しっかり見てきたからこそ、そのモノが持つ美しさを感じ取ることができるのだ。
私の場合は、ミニカーやグリコのおもちゃの目利きは誰にも負けないと思っている。価値の高さだけでなく、本物かニセモノかの判断も一瞥でできる。
私は、農業もアートだと考えている。だが、周りを見ていると、残念ながら後期高齢者になると体力的に継続が難しくなる。
その点、目利きの能力を生かしたビジネスであれば、もう少し長い期間継続することが可能になる。人生における職業の選択肢のひとつとして、目利きの力を使うビジネスも考えておく価値があるだろう。
●「ブランド物は長持ちする」というのはブランド信仰者の言い訳にすぎない
●ブランド物の価格の9割以上は品質ではなくブランドそのものの価値である
●高級すき焼き店では牛丼を注文せよ
●好きなものを追求すると目利きの能力も上がっていく
●目利きの力はビジネスにも結びつく