悠仁さまは笑わない、と思っていた
2024年12月には筑波大学に推薦入学で合格したことが発表され、その翌日に西村泰彦宮内庁長官が「根拠のない情報が流れていたのはまさに事実」「私も心を痛めている」と述べたと報じられた。心を痛めていたならもう少し何とかできなかったのか、と言ったところで時は戻せない。おめでたい合格発表が、悠仁さまのつらさとセット。そんなふうに感じた。
2025年2月には、悠仁さまが舞鶴引揚記念館を一人で訪問する様子が報じられていた。ニュースで見ると悠仁さま、やはり困ったような、つまらないような、そんな顔をしていた。こういう場所でニコニコするわけにいかないことはあるにしても、悠仁さまは笑わないなーと改めて思った。
少し話はそれるが、悠仁さまはお茶の水女子大附属小学校1年生の12月に沖縄県を訪問し、国立沖縄戦没者墓苑で花を供えて以後、戦争にまつわる行事や場所への訪問を重ねている。直近が舞鶴引揚記念館だ。悠仁さまは「帝王学」を学んでいないなどと言われたりするが、これは立派な帝王学だと思う。
愛子さまの初めての記者会見を思い出した
さて、初めての会見に話を戻すと、足長と笑顔といううれしい気づきがあったにはあったが、同時に悠仁さまの“お気の毒問題”も消えなかった。受け答えの様子を見て、「やっぱりそうだよなー」と思ったのだ。
悠仁さま、メモを見ることなくすべての回答に答えていた。暗記していた。そして記者の目を見て話していた。だけど「メモなし、暗記、すごい」より前に「このスタイルしか、とりようもないよなー」と思ってしまった。そう、このスタイルを3年前に見ているからだ。
2022年3月、20歳になって3カ月の愛子さまが、初めての記者会見に臨んだ。そこでの愛子さまはメモを見ることなく、一人ひとり記者の目を見て、すべての質問に答えた。ユーモア、賢さ、上品さ、家族の絆……。全てが伝わり、愛子さま人気を不動のものにした会見だった。
悠仁さまにしてみれば、愛子さまの会見をデフォルトにする以外の選択肢はなかっただろう。悠仁さまに質問したテレビ東京の新見多一記者は、悠仁さまの「メモなし」スタイルについて「18歳だからできること」と言い、緊張ぶりについて「悠仁さまが両手でギュッと膝小僧をつかんでいるようにされているのが、最前列の私からよく見えた」と言っていた(テレ東BIZ「皇室ちょっと昔の話(5)」2025年3月5日)。