私たちは批判には真摯に耳を傾ける
連想ゲームではありませんが、「東京新聞」「空気を読まない」と言えば、世の中では編集局社会部の望月衣塑子記者の名前が浮かぶ人が多いのかもしれません。映画『新聞記者』の原案や菅義偉官房長官に質問で食い下がる姿などで知られ、最近ではフジテレビの記者会見での質問をめぐり、SNS上で批判も受けています。
誰もが情報を発信する力を持ち、今や選挙の結果にも大きな影響を与える「SNS時代」では、新聞と記者の振る舞いは常に人々の目にさらされています。『オールドメディア』と呼ばれるなど、その目線は得てして批判的で、時には『オワコン』(終わったコンテンツ)扱いです。
東京新聞も昨年9月に創刊140周年を迎えており、歳月ではオールドメディアです。批判にも真摯に耳を傾ける必要がありますが、オワコンではありません。
『東京新聞はなぜ、空気を読まないのか』(東京新聞)では私が編集局長だった時代(2011年6月~17年6月)を中心に、新聞の使命を、仕事ぶりを紙面も使って明示することに注力しました。新聞の価値を体系的に説明できていないことが、新聞批判やオワコン扱いにつながっていると感じているからです。
新聞の使命とは
そもそも新聞の使命とは何でしょうか。人々の代弁者として権力を監視し、「本当のこと」を伝えて世に警鐘を鳴らすことです。究極の目的は「かけがえのない命」を守ることであり、ひいては国に二度と戦争をさせないことです。東京新聞が空気を読まない相手は権力であり、空気を読まない理由、読んではいけない理由は、使命を遂行するためです。
記者会見で記者が質問するのも同じことです。読者の代わりに質問し、「本当のこと」を明らかにすることが目的です。質問のやり方は様々ですが、お願い調では相手が隠していることや不都合な情報を引き出すことはできません。質問相手が国家権力である時に、新聞はその使命を最大限発揮したことになります。記者が批判を恐れて権力に質問することをやめたら、その先には暗闇が広がるだけだと思っています。
集団的自衛権の行使を容認した安保法制によって日本は「戦える国」となり、「新しい戦前」と言われる状況下にあります。SNSの負の側面として、憶測に基づく不確かな情報やウソがまかり通っています。時には熱狂も作り出しています。今こそ、信頼できる新聞と記者の出番です。