メンタリングのニーズは変化するので、定期的に見直すべきだとクラムは言う。メンターと弟子が四半期ごとに「このやり方はわれわれにとってうまくいっているか。これまでどおりのやり方を続けるべきか、調整するべきか、それとも別のやり方に変えるべきか」と、互いに問いかけ合うのである。

時間に制約があるため、多くのメンタリング関係が損なわれることがある。カミノ・マルコウィッツは、「コミットメントに関してメンターに説明責任を負わせましょう。互いによい関係を続けられないなら、メンターをその義務から解放してあげるのです」と言う。彼女は、幹部レベルのメンターにこの手法をとった弟子の話を引き合いに出す。「弟子がはっきり問題を告げたことで、関係が好転し、より深いコミットメントと尊敬が生まれることになった。メンターはメンタリングを続けることにしたが、それまでとは違った形を取ることにした」。

うまくいっているメンタリングを終了させるのは、うまくいっていない関係を打ち切るより難しいことがあるが、いつ終了させるのが適切かを心得ておくことは大切だ。

マサチューセッツ州ウェルズレーにあるバブソン大学の経営学准教授、ジェームズ・ハントは、マネジャーになるという目標を持っていた女性の話を例に挙げる。彼女はメンターの支援を得て目標を達成したが、その時点で、そのメンタリング関係を必要としなくなったことを説明せず、何も言わないままメンターと会うのをやめてしまった。結果、メンターは気分を害した。彼女はメンターに、「ご支援ありがとうございました。この件でこれ以上お時間をいただくつもりはありませんが、今後も、状況をお知らせしたいと思っております」と率直に言うべきだったのだ。

メンターになるというのはいわば「善意の行為」だと、ハントはいう。弟子は、相手が時間とエネルギーを割いて支援してくれたことに感謝し、役割が終了したら次の段階に移行することを示唆し、メンターに善意を返す必要があるのだ。

(翻訳=ディプロマット)