アピールの効果か否か、入店から4カ月後、大将の指示で新店舗の「つけ麺 無心」に移ることになった。この移籍が、髙田さんの運命を変える。

その店は、オープンからすぐ人気店になった。あまりに多忙で、間もなくして店長が離脱。スープ担当になった二番手は、いきなりの大役に技術が追い付かない。大将はここで、洗い物と掃除担当だった髙田さんを抜擢する。

大将は、数日だけスープの作り方を指導すると、あとは髙田さんに任せた。髙田さんによると、無鉄砲では5年働いてもスープに触らせてもらえない人もいる。それが、入店から5カ月目にして、スープにたどり着いた。つけ麺のスープは当然、ラーメンに通じている。

かなりの重労働になるという
筆者撮影
豚骨スープをつくる髙田さん

「おれはついてる!」と幸運を噛み締め、一心不乱に働いた。しかし、40歳の身体が気持ちについてこなかった。

両足の皮下と筋肉組織の間に細菌が入る病気に罹り、10日間ほど入院。その間に別の店からきた助っ人が店長に就いた。

大阪でこっそり学んだスープづくり

そのタイミングで再び異動になり、大阪店へ。デイトレーダー時代、大阪店によく食べに来ていた髙田さんは、「スープの達人」と称される店長と顔見知りだった。すぐに意気投合した店長は、ホール係の髙田さんにラーメンやスープ、接客に至るまであらゆるノウハウを伝授した。

しばらくすると、また大将から連絡があった。東京に無鉄砲の支店を出す、大和郡山の店長を連れていくという話で、「あきちゃん、大和郡山の店長しな。ちょっと面接するわ」。

鉄の棒でスープをかき混ぜる
筆者撮影
全体重をかけながら、羽釜の底をえぐるようにかき混ぜる

面接の日、「スープ作ってみて」と言われた髙田さんは、緊張しながらも大阪店で学んだスープを出した。それを飲んだ大将の顔色が一瞬で変わる。

「あきちゃん、なんでスープ作れるん?」

先述したように、無鉄砲でスープに触ることを許されているのは、店長のみ。ギクッとした髙田さんだが、大阪店の店長のことを高校生の頃から知る大将はなにが起きたのかすべて悟ったような表情をした後、特に問い詰めるでもなく、「店を黒字にしてくれ」と言い残して、東京に向かった。

厨房の様子
筆者撮影
現在は妻・のぶこさん(右)とともに厨房に立つ

店長としての執念

2010年6月、大和郡山の支店「がむしゃら」(元「豚の骨」)の店長に就任。モノを売る、売り上げを伸ばすのは得意分野だ。髙田さんはスタッフに「一緒に売り上げを伸ばそう」と呼びかけ、とにかく褒めて、褒めて、褒めまくって働く気持ちを盛り上げた。

トイレ掃除、ゴミ捨ては自分でやり、店をピカピカに磨き上げ、「皆さんはお客さんに集中してください」と伝えた。お客さんにも、アパレルで働いていた時に鬼の本部長から教わったように接した。