まずは選手たちの声を聞いた
通常、大学駅伝の新監督は自分のカラーに出して、チームをそれに染めようとするケースが多い。しかし、髙林監督はちょっと違った。まずは選手たちの声を聞き、チームの目標と、選手たちが困っていることを確認した。
「一般的に指導者が代わるときはチームが下火になったときです。でも今回は違います。彼らとしては何も不自由していないなかでの交代だったので、そのあたりは気を使いましたね。私が就任する前の半年間は、キャプテンとマネージャーを中心にチームを運営していました。私が気をつけたのは、こちらから必要以上に言うのではなく、基本的には学生が困っているところを手助けすることからアプローチを始めました」
選手としては結果を出してきたメソッドを当然持ち合わせているはずだが、それを強要せず選手たちをうまくナビゲートしていった。
「就任直後、選手たちに今季の目標を聞くと、『全日本大学駅伝初出場』と『箱根駅伝のシード権』という答えが返ってきました。目標に向かって後押しをするのが私の役割です。現在のトレーニングでは厳しいんじゃないの? と率直に話をして、練習内容を少しずつ変えていきました。私としても指導歴はさほどないですし、立大でまだ何も結果が出てないので、選手たちに『私を信じて、まずはやってみてほしい』と伝えてみたんです。その私のメニューを選手たちが見事なほどにやり遂げてくれたのが大きかったですね」
課題は明確だった。学生主体で練習メニューを組んでいたため、自分たちのやりたい練習、髙林監督の言葉を借りれば「気持ちいい練習」が多かったという。
「本来強化しないといけない部分じゃなくて、得意なことだけをやっていたんですね」
従来の立大はスピード練習が中心で月間走行距離は400kmほど。箱根駅伝を目指すチームとしては極端に少なかった。髙林監督は駒大のメニューを、チームに落とし込むようなかたちでやってきて、月間走行距離は600kmを超えるようになったという。
「駒大は伝統があったので、先輩に食らいついていけば強くなれた。そこに理屈は必要ありませんでした。立大の選手も『強くなりたい』『速くなりたい』という気持ちは素直ですが、頭ごなしに言うんじゃなくて、自分たちのなかで理解をしないと行動につながっていきません。そのあたりの言葉選びにはけっこう気をつけました。そのなかで5月の関東インカレでまずまずの結果を残すことができて、選手のほうが『オッ』となったんです」
髙林監督が起こした、この“新たな波”は次第に大きなものになっていく。
6月の全日本大学駅伝関東学連推薦校選考会では東海大や早稲田大、専修大、順天堂大など実力校が並ぶ中、5位に入った。今季の2大目標のひとつ「全日本大学駅伝初出場」をすんなり決めたのだ。そうして結果を残すたびに選手たちからの信頼度も上昇。チームは次なるターゲットに向けて動き出した。