バフェットがバブル崩壊を回避できた理由
ドットコム・バブル(2000〜2002年)
1995年から2000年まで、インターネット関連企業の株価が急騰した。
実際には、その大半が株価上昇の裏付けとなる利益を出していなかったにもかかわらず、ナスダック総合指数は跳ね上がり、値上がり率は440%(株価水準で5.4倍)以上に達した。1999年に、バークシャー・ハサウェイのパフォーマンスが市場パフォーマンスを(S&P500株価指数をおよそ40%)下回ったため、バフェットは非難された。
ところが今振り返ると、バフェットは株価が市場の狂乱以外の何物でもなかったインターネット関連株の幻想にだまされることなく、手堅く行動していたと思われる。実際、ナスダック総合指数が5048.62の天井をつけた2000年3月10日から2002年10月4日までの間に、指数は76.81%下落して1139.90に達したのである。文字通りの大暴落だった。
バフェットは自分がどう考えるかを重視する人であり、集団の動きには従わなかった。その姿勢は短期的には非難されたとしても、長期的には実を結んだ。ナスダック指数は回復に時間がかかった。2000年3月の水準に戻るには、配当を考慮に入れても12年、2014年11月まで待たなければならなかった。
ここ数年、バークシャー・ハサウェイは市場パフォーマンスを再び下回っているので、今日の経済はバブルのような性格を帯びていて、バフェットはその先を見越しているのではないかとさえ我々はつい考えてしまう。
私たちは危機への対処法を学んだ
大恐慌
1929年9月3日、ダウ平均は381.17ドルで天井に達した。大恐慌後に以前の高値を抜いたのは1954年11月23日で、実に25年以上も後のことだった。
公式的には、この時の景気後退は1929年の株式市場の暴落からアメリカが第二次世界大戦に参戦するまで10年以上続いた。1933年の不況のどん底時には、全アメリカ人労働者の25%が失業していた。痛々しいまでに遅い回復を経験したアメリカ人は、政府の役割の増大を求めるようになった。その結果、高齢者向けの社会保障と失業手当が生まれた。
ここまで見たように、株価指数が前の高値に戻るまでにかかった時間はさまざまだった。
しかし、時間が経つとともに、我々はこうした危機への対処法を学んできたようだ。なぜなら、回復するまでの期間が25年(大恐慌)から14年(ドットコム・バブル)、4年(大不況)、そして2カ月(2020年のパンデミック)へと短くなってきたからである。
さらに、この短縮は市場への政府の関与度とも正の相関があることも注目に値する。ただし政府による干渉の是非は、モラルハザードをもたらす可能性があるため、激しい論争の的となっている。ここで、「モラルハザード」という用語は、ビジネス契約において、一方の当事者が契約成立前に利益を得ようと必死になるあまり、通常では取らないようなリスクを取ることを意味する。これを、市場への政府の関与という文脈で捉えると、モラルハザードの懸念とは、経済破綻の最中に政府が市場を助けてくれるだろうと投資家が期待して、無分別なリスクを取る可能性が高いことを意味する。しかし、この問題を正面から取り組むのは本書の目的の外となる。