面白がっていることを勉強にするには

小学生のうちは、遊ばせるべきだ。面白いことを存分に楽しまないといけない。面白いと思ったことはずっと続けられるし、やめろと言っても勝手にやる。親に隠れてしたりもする。ここに答えがある。

子どもが面白がってやることが、勉強になるようにすればいい。ただ面白いからやっていたら、実はそれが勉強だった――そんな状況を作ってやるのだ。

子どもの立場からすれば、面白いことを思う存分できるし、親の立場からすれば、子どもにストレスを与えずに勉強させられて、これほど幸せなことはない。わが子の場合で言えば、それは読書だった。

公園の木の幹のそばで本を読む女の子
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読書を遊びだと思わせるために

では、どんなふうに本を読めば、勉強でなく遊びのように思えるのだろうか。宿題のように義務としてやらなくてはならないものだと思った瞬間、読書は勉強になってしまう。それでは絶対に本をたくさん読めない。学校の授業の延長線のように本を読むべきだというプレッシャーを、子どもに与えてはいけない。

私は1日のノルマを決めたり罰を与えたりはしなかったし、本に出てきた知らない単語を調べさせるということもしなかった。わからなければわからないままにさせておいた。わざわざ覚えなくても、文脈のなかで自然とわかるようになるからだ。

子どもたちは、大人がどんな意図で、どう勉強させようとしているのか、驚くほどよく察するものだ。母親が勉強させようと意図的に本を読ませれば、子どもは興味を失ってしまう。母親に言われれば本を読むが、それ以上の情熱や興味を示すことはない。

高校生で特に勉強をしなくてもSATで一定レベル以上の点数を取り、順調に博士課程を終えるには、無理やり本を読ませるだけではどうにもならない。

うちの子どもたちが何冊ほど本を読んだかわからないが、すでに小学校のときには図書館の子どもコーナーにある本をすべて読んだと言っても過言ではない。あれだけ多くの量は、誰かに読めと言われただけでは読めない。読書を遊びのように面白く感じていなければ無理だ。遊びのように、自主的に読もうとする情熱があったからこその話だ。

娘たちは3人とも、読書を遊びのように楽しみ、いつでも、どこでも本を読んでいた。子どもたちの学校の先生も、うちの子たちが歩きながらも本を読んでいるのを見て、驚いていた。