〈「原子炉の状態もわからない。頭がおかしくなりそうだった」1号機の水素爆発直後の福島第一原発で…死を覚悟した運転員たちが写った“2枚の写真”〉から続く
2011年3月11日、東日本大震災に端を発する福島第一原発事故が起きた。当時の菅直人総理大臣が原子力委員会の近藤駿介委員長に依頼してシミュレーションした「最悪シナリオ」では「東日本壊滅」も想定されていたというが、実際には回避された。どのような経緯があったのか。
ここでは、NHKメルトダウン取材班が10年をかけて、1500人以上の関係者取材で事故の真相を追った『福島第一原発事故の「真実」』(講談社)より一部を抜粋して紹介。
震災発生から9時間以上が経過した3月12日の午前0時すぎ、1号機の格納容器の圧力が通常の6倍に達しているのがわかり、2号機もやがては圧力上昇するとみて、当時の所長であった吉田昌郎さん(56歳)は1号2号とも「ベント」という圧力を下げるための緊急措置を行う決断をした。
決死の作業の末、ベントが成功したと思いきや、起きてしまった1号機の水素爆発。その直後、総理執務室では何が起きていたのか。そして、後に日本中から喝采を浴びた、吉田所長の英断の“真実”とは――。(全4回の4回目/最初から読む)
※年齢・肩書はすべて当時のものです。
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総理執務室の攻防
「日テレを見て下さい!」耳をつんざくような叫び声が総理官邸5階の秘書官室に響いた。言われるがままに、そのテレビ画面を見た総理補佐官の寺田学(34歳)は啞然として一瞬身体が凍り付いたが、次の瞬間、総理執務室に飛び込んで「今、映っています!」と怒鳴りながらリモコンをひったくるように奪ってチャンネルを日本テレビに合わせた。午後4時50分。その画面を見て、菅をはじめ部屋にいた誰もが驚きの声をあげた。
テレビには、水色に白がちりばめられた建屋上部の壁が吹き飛び、鉄の骨組みがむき出しになっている1号機の原子炉建屋が映し出されていた。一見して爆発したとわかる無残な姿だった。福島中央テレビの映像を系列キー局の日本テレビが、1時間ほど経ってから全国放送した瞬間だった。
菅は、呆然とテレビを見ている原子力安全委員長の班目春樹(62歳)に「あれは爆発ではないか。どうなっているのか」と問いただした。10時間前のヘリコプター機内で班目が「格納容器は窒素で満たされているので水素爆発しない」と言ったことを蒸し返した質問だった。官房副長官の福山哲郎(49歳)の目には、班目が「あちゃー」と表情をゆがめている姿が映った。福山は抑えきれずに、「あれはチェルノブイリ型の爆発なのですか。チェルノブイリと同じことが起こったのですか?」と大声で聞いた。