「東大卒」で「学歴ありすぎ」なのが「コンプレックス」とは、いったいどういうことなのか。
ちょっと嫌みな学歴自慢かとも思ったが、「そんなつもりは全然ありません」。自身も東大卒である著者の中本さんは即座に否定する。
「ただ東大卒というだけでよくも悪くもチヤホヤされることもあってか、東大卒は自身の“東大力”を万能と思い込みがちです」、そのため思うような成果を挙げられない場面に出くわすと、“東大卒なのにデキない自分”にコンプレックスを感じるケースが少なくないというのだ。
ちなみに“東大力”とは何か。中本さんは、「与えられた課題の本質を正しく理解」し、「課題の達成に影響する要因を掌握」したうえで、「諸要因を勘案しつつ詳細なスケジュールを立案」し、「誰にも文句を言われず完遂」できる能力を指すという。この的確で淀みない答え1つとっても、「東大入試を突破する過程で養成、強化される」という、その能力の素質の高さがわかろうというものだ。
「でも東大力って、与えられた課題をソツなくこなすのは得意でも、裏を返せば何か1つ突き抜けているものは特になく、一言で言えば面白みに欠ける。ですから希望するクリエーティブな職種に就けないのも、そんな東大力が足を引っ張るからいけないのだ、こんなことなら東大なんて入るんじゃなかったと、当時は本気で思っていました」
本書は、そんなせっかくの東大力を上手く活用できず悩み多い会社員時代を経た中本さんが、意を決してフリーへと転身後、東大力というタームを軸に、“東大と私”を巡って分析的に著したもの。併せて「東大・なう」や「“東大女子力”の真実」の章では、現役東大生、東大OB・OGへの取材を通して、彼らのリアルを掘り起こしていく。
その筆致こそ軽妙だか、簡潔かつ明晰な論旨と構成に、中本さんの“東大力”が冴える1冊。
「この本を書いて、ようやく自分なりの東大力の使い方をつかめたように思います」