現実を示すことが困難になった学校
ただ、実際の現場ではなかなか子どもに「比較や競争を通じた現実」を示すことが困難になりつつあります。
まず、学校自体がギリギリの人員・時間枠のなかでカリキュラムをこなすのに精一杯というのが正直なところで、先述の「比較や競争の場を無数に作る」ことが可能なほどの余裕がありません。子ども一人ひとりの特徴を掴もうにも、それを掴むための機会を持つこと自体が物理的に難しくなりつつあるのです。また、少子化の影響もあり、受験では定員割れが生じやすくなっており、子どもたちが公的に「比較・競争」の場に身を投じることが減りました。
冒頭で述べた事例のように、学校が子どもに対して「現実」を示すことが減りました。例えば、都道府県によっては中学校の定期試験の点数は示すけど、順位については「本人が聞きに来ないと伝えない」という対応を取っていることもあります。通知表についても、親世代、祖父母世代のそれと比較すると、子どもの気がかりや課題が明示的に書かれることはなくなりました。
かつては学校が子どもに「現実を示す」という役割を担う面が大きく、多くの親は現実によって揺さぶられた子どもを「支える」ことが大切でした。ですが、社会状況の変化が、上記のような学校の変化にまで及んでいます。こうした状況だからこそ、子どもと接する大人はいろいろと工夫する必要が出てきました。カウンセリングの中で私が、親世代に伝えることの多い助言を挙げておきましょう。
ネガティブな感情にも共感する
まず、子どもとたくさん関わることが大切です。その際、子どもの「嫌だったこと」に耳を傾けることが、以前にも増して重要になってきています。子どもたちは「楽しかったこと」「できたこと」は積極的に話してくれますが、否定的な出来事やそれに基づく感情は「聞かないと答えない」ということも多いものです。
もちろん、大人が不安に駆られて「嫌なことはないの?」と聞くのではなく、「楽しかったこと」「できたこと」と同じレベルで「嫌だったこと」を聞くことが大切です。そして、その「ネガティブな感情」に共感的に耳を傾けるようにしましょう。
「共感」とは解決を試みようとするのではなく、そのときの感情に対して「それはそう思うよねぇ」「嫌だったね」などのように気持ちを理解しようと努めることを指します。これによって、子どもたちの内側に「苦しさを理解してくれた人のイメージ」が残り、これが次の苦しい体験を支える力になってくれます。つまり、「共感」は子どもが本当の意味で自立するために必要な大人の態度なのです。誰かに支えられながら、誰かに支えられたイメージを抱えながら生きていくことが「自立」なんですね。