大内定綱は政宗の大軍を前にして小手森城から逃げ出す

閏8月12日、伊達政宗は米沢城を発った。

その12日後の24日には大内居城より北東12キロメートルほどの小手森城に差し迫った。

小手森城は大内定綱その人と大内家臣・小野主水らが守っていた。定綱は政宗の迎撃を試みたが、大軍を前に歯が立たず籠城以外の手がないと覚悟を決めた。