「心」の問題としての加齢

40代女性論において初めて登場するトピックに「加齢」があります。端的に老いと表現される場合もありますし、エイジングといった言い換えがなされる場合もありまし、「『更年期』という大きな川」(横森、3p)というより具体的な論点が示される場合もあります。しかしいずれにせよ、どの著作でも多かれ少なかれこのトピックが扱われています。

とはいえ、このトピックの扱い方は恋愛、外見、食といった、これまでに扱ってきたトピックとほぼ同様です。まず、加齢という不可避の事態の読み換えが行われます。

「若いということと、若さは根本的に違うものなのです」(浅野、45p)

「肉体的なエイジングは、命あるものに等しく訪れ、抗うことも逃げることもできません。せいぜいエイジングのスピードを落とすくらいしかできません。でも、心は違います。その気になりさえすれば、いくらでも変えることができるのです」(金盛、6p)

「何歳になってもあきらめず、チェンジやチャレンジを怖れないでほしいと思うのです。新しいことに挑戦しているときは、内面から若々しさがにじみ出てきます。肉体はともかく、心の若さはキープできる、それどころか若返ることだって可能です」(近藤、6p)

運動をして、肉体的な若々しさと健康を保つことも言及されてはいますが、これらの言及から見てとれるのは、「若い」という年齢上の問題、いわば客観的な問題を、「若さ」という主観的な問題に置き換えようとする態度です。加齢の問題もまた「心」の問題へ、「心の若さ」という問題へと書き換えられるのです。

こう置きかえられるならば、次に何を行うかは予想ができますよね。そう、以下のような、考え方の啓発です。

「自分の生活にある程度のルールを決め、自分自身に起こる変化を楽しんでいると、老化に伴うさまざまなことも気にならなくなります。緊張感を持って毎日を暮らしていれば、自然と体は引きしまり、老化自体も遠ざかります」(浅野、46p)

「『もう』とか、『この年で』とか、自分を規定しまったあとには、なんの新しいことも起こりません。ワクワクも、ドキドキもありません。『お化粧やスキンケアで、なんとか若さを!』というのも悪くはありません。でも、心と体に若さをもたらすのは、何よりもワクワクとドキドキなのです」(金盛、22p)

好奇心を保ち続け、ポジティブに物事を捉えること、感受性を高め保ち続けること。他にも、よく笑うこと、自分を労わるように日々自分自身に話しかけること、感謝の心を持つことなどの手法が紹介されています。「老いのスピードを左右するのは、心の使い方一つ」(浅野、131p)ともあるように、「心の使い方」をもって加齢に立ち向かおうというわけです。金盛浦子さんの『ウェルカム・エイジング』では、脳のしくみという観点から、先に紹介したような手法の効用が説明されてもいます。

ただ、すべてが「心の使い方」で解決できるというわけではありません。たとえば浅野裕子さんの『40歳からの「迷わない」生き方』では、洗顔・保湿の仕方、シミやシワへの向き合い方などが言及されています(131、143-145p)。「肌に自信がつくと、自分に自信がつきます」(142p)ともあるように、「心」以前の前提として、身体(特にこの場合は顔)のケアが置かれているのです。

横森理香さんの『40歳からハッピーに生きるコツ』でもこれは同様です。同書では、「おなかも顔も垂れ、セルフ・エスティーム(自分に対する好意的評価)が持てなくなって、落ち込む」ことを防止するために、「健全な精神は健全な肉体に宿るイコール健康第一、カラダ系に走る」(41p)ことが推奨されていました。具体的に挙げられているのはヨガやピラティス、ベリーダンスですが、いずれにしても40代論では、「心」を下支えする土台として、身体のケアがしばしば言及されるようになっています。

男性向け「年代本」でも、40代論になると身体のケアへの言及がなされるようになっていました。具体的には、ウォーキング等の運動が推奨されています。しかしこの場合は、脳を活性化してアイデアが出やすくなるといった仕事面でのプラスを見込んで、あるいは体重増加や病気の予防といった純粋に健康面でのプラスを見込んでの推奨でした。一方女性向け「年齢本」の場合は先の例にあるように、自信をつけるため、落ち込むことを防止するという文脈における言及でした。このように、同じ身体のケアへの注目であっても、その文脈に男女差が見られるわけです。

ところで、なぜ女性向け「年齢本」にばかり自信や自己肯定感という問題意識が登場するのでしょうか。逆に言えば、なぜ「年代本」をはじめとする男性向け自己啓発書において、自分に自信がない、自己肯定感を高めたいといった文言がほとんど登場しないのでしょうか(これは身体のケアという文脈に限りません)。

これは男性の方が自己肯定感が高いから、という単純な話ではないと思われます。社会学者の研究グループ・青少年研究会が2002年に行った16~29歳調査によれば、「今の自分が好きか」という質問に「大好き」「おおむね好き」のいずれかを答えた割合の合算値は、男性72.1%、女性69.2%でした(調査概要については浅野智彦編『検証・若者の変貌――失われた10年の後に』18-23p参照)。つまり、男女での自己肯定感はほとんど変わらないのが実情なのですが、なぜか女性の生き方を論じる著作ばかりで、自分に自信を持とう、自分を好きになろうという文言が踊っているわけです。不思議ですよね。

端的に述べれば、これは社会的につくられた、望ましい「男らしさ」「女らしさ」、つまり「ジェンダー」という観点から解釈できる問題です。男性について言えば、自分のことを好きではない男性もいるかもしれないが、そのことに拘泥するような男性は望ましくない、だからトピックに上がってこないのだということです。女性についてはその逆で、自分が好きかどうかに拘泥しない女性もいるかもしれないが、女性が何よりも取り組むべき問題は自分を認め好きになることだという女性観のもとに「年齢本」が書かれているということです。つまり、男性向け「年代本」、女性向け「年齢本」の分析から見えてくるのは、この社会における「男らしさ」「女らしさ」の現状なのです。

さて、次は全体のまとめ・考察に進みますが、その前に女性向け「年齢本」の論理――そこには女性とはどのような存在で、どのようであるべきなのかが示されている――を確認しておきましょう。「年齢本」の基本論理は、「自分らしさ」の獲得にあります。「別でありえたかもしれない自分」への迷いを断ち切るべく他人との比較をやめ、「ありのままの自分」を受け入れて「自分自身の幸せの形」を見つける。そして自分自身の人生を自らの責任で請け負い、切り拓いていくように自分を変える――。

このような論理は恋愛、それに連なる結婚から、ファッション、美容、食、加齢等々、あらゆる対象において貫徹されています。これは美意識の自己変革という文脈で用いられているものですが、八坂裕子さんが『40歳からの「ひとり時間」の愉しみ方』で用いている「ひとり革命」(25p)という言葉が、女性向け「年齢本」の全体的な特徴を端的に表しているように私は思います。