「男性の裁判長の方が私よりフェミニスト」と茶化したことも
嘉子さんは、後にインタビューに答え「(近藤)裁判長のほうが私よりフェミニストです」と言ったという。近藤さんは「事件のことと考え合わせて、私のほうがまだ性別へのこだわりを捨て切れずにいるのかと自省させられた」と綴っている。
そんなふうに嘉子さんは、男性には女性を甘やかさないでほしいと求めたし、後進の女性には男性同様、仕事をするようにと厳しく接した。
昭和40年代に司法修習生だった藤田紀子さんは裁判官を志し、再婚後の嘉子さんを訪問して、裁判所ではなかなか女性が採用されない、採用されても転勤があって結婚との両立がしにくいという話について、質問してみたという。
裁判官志望の司法修習生に「転勤を嫌がるな」と助言
「三淵さんは、はっきりと、今の女性は甘えている、ということをおっしゃいました。自分が裁判官になった時は、任地がどこになるか、夫と別居しないでやっていけるだろうか、そんなことを予め考える余裕など無くて、とにかく精一杯やろうと気持ちが強かったとのこと。自分が夫との別居等を理由に途中で裁判官をやめたり、不平不満を言ったりしたら、やっぱり女性はダメだというレッテルを貼られてしまう。それでは後に続く裁判官志望の女性に申し訳ないではないか。そんな気持で一生懸命仕事をしてきたとのこと」(『追想のひと三淵嘉子』)
男性並みに働くなら転勤もやむをえないという、当時のキャリアウーマンらしい考えをもっていたようだ。女性の先頭に立って男性と同等に仕事する権利を獲得してきた嘉子さんは、武藤嘉子としてインテリで開明的な父母の元で育ち、頭脳明晰で、勉強もすこぶるできたゆえに日本最高峰の女学校を出て、弁護士になりたいと言っても応援され、自分が女性だからと差別されたことがなかったので、男女平等は当たり前と思っていた。