「あ~、家なくなったなー」

昨年12月15日に高校生たちが釜石で行ったイベント「キャンドルナイト」の光景。

釜石高校1年の澤口莞平さん。家業のパン屋さんを継ぐと決めているが、その前にちょっと「寄り道」しようかなとも考えている。澤口さん、そのときは釜石から出ますか。

「出てみたいです。進学したいとは思っているけど、具体的にはまったく決めてないです」

どこまで出てみたいですか。

「どこらへんだろう……? 空手が好きで、仙台の先生のところに中学校のとき住んでたんです。また1回そこに行って、ちょっと遊んでこようかなみたいな」

澤口さんは空手家だ。「幼稚園のときに、お父さんに釜石の空手の道場に連れていかれて、『やるか?』って聞かれて『うんっ』て返事したのがきっかけです」と語る。

「小学校3年のとき、全国大会に出ることになって、父さんが空手の雑誌で、仙台の先生の道場で合宿があるのを見つけて、行くことになりました。そのときの合宿は辛かったんですけど、全国大会で3位になれました!」

澤口さんは仙台に移り住んで、弟子入りしたいと考えた。親御さんは反対したそうだが「でも、どうしても行きたくて、なんとか行かせてもらいました」。中学校入学と同時に仙台に移り、震災が起きるまで仙台で暮らしていた。親御さんと連絡が取れたのは「4日目だったと思います。8日後に会いました」。

連絡が取れるまでの間、釜石の実家はどうなっていると思いましたか。

「流されたんだろうなと思っていました」

釜石に帰ってきて、自宅と工場があった場所を見て、澤口さんは何を考えたか。2月に送った追加質問のメールに、澤口さんは次のような返事をくれた。

「『あ~、家なくなったなー』です(笑)」

2月に入ってから工場再開の進捗状況をメールで訊くと、「中小企業基盤整備機構が整備し釜石市から無償で貸与の仮設工場を改修中。まだ準備中で機械はまだ入ってないです。来週に機械が入ります。新年度の給食に間に合うように2月25日に機械が動く予定。新年度から学校給食(パン)、学校給食(ごはん)再開予定です」という返事が返ってきた。

澤口さん、最後にパン屋の息子さんにしか訊けない質問をひとつ。「TOMODACHIサマー2012 ソフトバンク・リーダーシップ・プログラム」で合州国に行っているあいだ、向こうでパンを食べたと思うのですが、味はどうでしたか。

「えっと、なんか……とにかくぜんぶ、食べたものはあんまり好きじゃなかったんですけど、ホームステイしたところは料理がおいしかったです。ホットケーキやパンケーキをつくってくれました」

「自分はパン屋の息子だ」とホームステイ先プレッシャをかけたりはしなかった(笑)?

「いや、かけてないです、かけてないです(笑)。すごい豪華な家とかにホームステイに行った人もいるみたいなんですけど、自分は普通の家だったので。そこの家にはちっちゃい赤ちゃんとかいたので、楽しく遊んでました。仙台にいたときに、空手をちっちゃい子に教えてたので、ちっちゃい子と遊ぶの、好きっちゃ好きです」

次に話を聞いたのは、取材中に何度も澤口さんとじゃれ合っていた高校生だ。