「科捜研の女」になりたい

「TOMODACHIサマー2012 ソフトバンク・リーダーシップ・プログラム」のひとこま。

「TOMODACHIサマー2012 ソフトバンク・リーダーシップ・プログラム」参加者300人の中で「田舎っぺちゃん」のあだながついた桜庭実紀さん(久慈高校2年生)。最初は司法解剖医になりたかった。そのきっかけは何ですか。

「『科捜研の女』になりたい、と(笑)。けっこうグロいのは大丈夫なんで。えげつないっていうか、そういう仕事に就きたいな、と」

「科捜研の女」は1999(平成11)年から沢口靖子主演で続いているサスペンスドラマ。舞台は京都府警科学捜査研究所。沢口靖子の役は法医学研究員だ。桜庭さんが「グロいのは大丈夫」と言ったので、こう訊いてみる。たとえば道ばたで車に轢かれて猫が死んでいました。桜庭さんの反応はどれですか。1:「うぇっ、気持ち悪い」と思う。2:「かわいそう」と思う。3:「お、内臓が出ている」と思う。

「『お、内臓が出ている』(笑)。お祖父ちゃんちのあたりとか、けっこうタヌキが車に轢かれるんですよ、のろまだから。そうすると『いやー、タヌキ死んでる。内臓が出てる』(笑)。昔からそうです。自分は他の女子とは違うなと思った瞬間? 多々あります(笑)」

臨床検査技師になるためには、どういう進路になりますか。

「卒業して臨床検査技師になれる学校があまりなくて、それで大学は絞られてくるんです。一応、今の第1志望は弘前大学ってことになっているんですけど、自分が今、行きたいなと思っているのは、群馬大学とか金沢大学、あと愛媛大学なんです。すごい遠くに行きたいんです。親は近場にいてくれって言うんですけど、わたしはどうしても遠くに行きたいわけで(笑)、ちょっと東北を出たいなって考えてて。今、いちばん考えてる群馬大学が、自分の偏差値を上げて目標にするには、けっこういいかなっていう大学。ちょっと行けば東京もあるし」

大学を卒業して仕事をするときは、どういうところで働いているのですか。

「勤めるなら、大っきい病院があるところに住みたいって思ってるんですけど」

久慈でいちばん大きな病院はどこですか。

「すぐそこの久慈病院です。けど、すっからかん。医師不足がすごいんです。救急行っても違う先生が診るんです。当直の先生がふつうに内科の先生だったりするんで、患者は次の日まで点滴で頑張ったりするんです」

岩手県立久慈病院は、1950(昭和25)年に岩手県立九戸病院としてスタート、1998(平成10)年に救命救急センターを併設。病床数は342(うち一般病棟は275)、常勤医師数は43名。ウエブサイトには「久慈医療圏唯一の中核的総合病院」とある。比較材料として東京の聖路加病院を見ると、入院病床数は520、常勤医師数は300人、1ベッド当たりの医師数は0.57人。この数値が、久慈病院では0.12人となる。

桜庭さん、地域医療に貢献するという発想はありますか。

「ああ、それは高校の進路面接とかでもけっこう言われることなんですけど、なんか、うーんってかんじにはなるんですよ」

『学歴社会のローカル・トラック』(吉川徹/世界思想社/2001年)という本がある。社会学者が島根県(県内に私立大学がない)の高校とその卒業生の進路を研究した本だ。地方の高校生の進路を研究した本は驚くほど少なく、連載第11回《http://president.jp/articles/-/7993》で紹介した『「東京」に出る若者たち』と並んで、この連載取材の重要な参考文献になっている。「トラック」とは進学、就職と歩んでいく人生の「経路」のことだ。本書は地方特有のトラックを、こう考察する。

「地方県は、一度県外の大学に流出した県内出身エリート層に対して、次には新卒就職の機会に出身県への引き戻しの力を加えていく。それは、学費を負担した両親が子どもを呼び戻すというようなミクロな(個人レベルの)出来事なのではなく、地域システムがかれらを求めているという意味においてである。(中略)こうして県外の大学への流出進学者たちは、ある者は高校のときからの自分のライフコース・イメージに従って、またある者は都市から押し返され、あるいは大きな学資を負担してくれた親との約束を守るために、あるいは自分のなかの望郷の念やあととり意識に引き戻されて、自分が正当に『嫡出』した地方県に戻ってくる」(同書p.217-219)。

「戻ってくる」要因の中には、島根の教育システム(具体的には現場の教師たち)が、代々「地域振興のために」という意識を持って運営されていることも含まれる。「県主導の公教育は、親から預かった次世代を、地方県の命運をかけてエリート層として伸ばしていく」(同書p.60)。それは地方の進学校の大事な役割なのだ。久慈高校も進学校だ。教師たちには近しい思いがあるだろう。

戦中の1943(昭和18)年に久慈高等女学校として開校した久慈高校は、戦後の長い時間をかけて、進学校としての実績を積んできた。『岩手県立久慈高等学校30年史』(1973[昭和48]年刊)にある1972(昭和47)年卒業生の進路状況を見ると、普通科卒業生138名のうち、就職が46名、進学は63名(残り29名は「その他」)。進学者のうち国公立大現役合格者は10名(うち岩手大1名、弘前大5名、東北大0名)。直近の2011(平成23)年度の実績は、就職4名、進学が220名。うち国公立大現役合格者は64名(うち岩手大15名、弘前大8名、東北大3名)だ。

桜庭さんは「(地域医療に貢献するという話を)けっこう言われる」と話した。だが、彼女自身の反応は「うーんってかんじに」なっている。桜庭さん、それは「久慈に戻るよりも、わたしはやりたいことがある」ということなのか、それとも、こころのどこかで久慈に対する憎しみを持っているのか。

「憎しみまではないですね(笑)。でも、なんていうのかな、うーん……なんて言えばいいのかな、田舎が悪いってわけじゃないんですけど、やっぱりもっと広いところを見たいっていうかんじなんです。居たくないわけじゃないんですけど、働くなら、やっぱりもっと大きい都市に行きたいみたいなかんじになっちゃうんですよ」

次に登場する高校生は、「絶対に東北に残らない」と明言した。