子どもが肩身の狭い思いをしない謝り方

私は、自分自身の育児中、息子に世間を信じてほしいと思っていた。彼が無邪気に生きられるように。理由は、彼がAI時代を生き抜く第一世代になることを30年前から知っていたから。

幼子にとって、この地球の出来事はなんだって新鮮だ。大人がうんざりするほど見慣れている山手線一つにだって、2歳の息子は嬉しそうな顔で歓声を上げた。騒ぎすぎるようなら、私も遠慮して電車を降りたけど、昼間のすいた車両で、「うわぁ、長いお椅子〜」と第一声を上げるくらい、大目に見てもいいじゃない? たしかに電車内の静寂は破られるけど、ここまで静かなのは東京の電車だけだよ。

東京の山手線ホーム
写真=iStock.com/coward_lion
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でも、にこりともせず「しっ、静かに」というマダムがいたのである。30年前には、戦前派がおばあちゃん世代だったからね。けっこう、こういう目に遭った。

こういうとき、「うるさくして、すみません」と謝ると、息子に肩身の狭い思いをさせる。そこで、私が編み出したのが「お気に障ったら、すみません」だったのである。息子の言動には謝らず、相手の気持ちにだけ謝る。彼の脳の、無邪気な出力を祝福してやりたかったから。

けれど、彼の興奮が冷めやらず、本当にうるさいときは、「電車で騒ぐ男はカッコ悪い。ママはカッコ悪い男は嫌いなの」と言って、ぴしゃりとやめさせた。世間に遠慮してイラついた母親に叱られたからではなく、「過剰なのはカッコ悪い」からやめる。やめさせられることは一緒でも、母親にとっても子どもにとっても、納得度がまるで違う。

子どもの無邪気は○、親の無神経は×

そんなことを私がパーソナリティを務めるラジオ番組で語ったら、「そうは言っても、混んだ電車に、子どもに靴を履かせたまま抱いて入ってくる親とか、電車の椅子に土足のまま立たせる親とかいるんだよな」という投稿が飛び込んできた。

私は、子どもの無邪気は守ってあげたいけど、親の無神経は許しているわけじゃない。たしかに、こうやって迷惑をかけると、「お気に障ったら、すみません」じゃ済まない。「気だけじゃなくて、私の、お高い白いコートに泥靴が触ってるんですけど?」ってことだもんね。