人は、なぜ退職して肩書が外れると途端に劣化するのか…いとも簡単に“闇落ち”してしまう人々について(山本 一郎) ネットde真実って往々にしてみんなを不幸にする

以前、FIREって流行ったじゃないですか。FIRE。

現役時代に一生懸命働いて、おカネ貯めて、会社辞めてから貯めたおカネの運用益を得て働かず暮らすってやつ。

私の身の回りでも、30代猛烈に働いた外資系金融お勤めの人や弁護士、上場企業の創業役員などなど、ガッツリ億単位のおカネを貯めて引退した人たちがおるわけなんですが…なぜか、皆さん離婚したり、破産したり、精神疾患で望まぬ入院したりされている。

宝くじで大金が当たったり、仮想通貨で大儲けしたりといった、一見羨ましいと思うような幸運をつかんだはずの人が、その後の人生を踏み外して転落しているのをみると、人間社会の侘び寂びのようなものを感じるんですよ。

有能な人物が突然、陰謀論サイトにハマり…どうしてこうなった?

また、人生の大先輩で、私のようなのと20年以上ご親交くださった会社役員の方が、最近連絡取れないなと思ったら、奥さんから連絡あって「退職後、YouTubeの陰謀論サイトにハマってしまい、WHO脱退デモに参加するなどしていて困っている」との近況報告が。私が話している時はまともな人物だったのに…。

果ては、ながらく友人関係にあった、多忙な編集者や仕事の品質の高さで人望もあった人物が、早めの引退を経て地方に引っ込んだら突然反ワクチン反マスク界隈に首まで漬かっておかしくなってしまうとか。どうしてこうなった。

昔であれば、定年などで引退して人間関係が希薄になっておかしくなる人がいたとしても「近所にいる変なおじさん」で済んでいたものが、ネット社会がここまでリアルに浸透してしまうと「変なおじさん」が変な人同士ネットで結合し、また変な人の承認欲求を満たすように変な人たちに持ち上げられ、褒められてカルト的な組織までできてしまうのです。

やっぱり、「肩書を持ち、役割を果たすために真面目に日々働く」ってのは、社会に生きる人間が人間であり続けるために必要な刺激なんじゃないか、って最近強く思うようになりました。自分はこう思うけど、組織や上司や同僚や取引先や部下や友人や家族との人間関係の中で「誰かが自分と違う考えを持ちながら、役割を果たして暮らしている」という歯止めがどこかで利くことで「自分はこう思うけど、そう思わない人もいる」という現実を受け止めて生きていける。