「自助・共助・公助」のバランス

それを理学療法士の団体の方に話したら、こんなことを教えてくれました。「『リハビリ』には二つの意味があります。一つは、傷痍しょうい軍人らが身体機能を回復させて社会生活に復帰するための訓練。もう一つは、罪を犯して刑務所に入った人が社会に復帰するための訓練。どちらも『リハビリ』です。だから、谷垣さんがお感じになったことは正しいんですよ」と。

「ああ、そうか」と思いました。社会復帰をしようと思ったら、自分でできることは段階的にやれるようにしていかなきゃいけない。しかし「俺はもうどうでもいいんだ」と捨て鉢になってしまったら、なかなか難しい。「頑張らなきゃ」という気持ちを持たなきゃだめです。

その上で、助けてくれる人がいなきゃいけないし、社会復帰を目指す人たちを支援する公的制度もなきゃいけない。それなしに「はい、これで終わりですから、後は全部一人でおやりなさい」では、それから先、なかなかやっていけませんよね。「自助・共助・公助」のバランスが大事。そういうこともあって、政界引退後、全国保護司連盟の理事長を引き受けました。

当時72歳、政界引退を決断

《入院中は一日3時間、リハビリに取り組んだ》

車いす
写真=iStock.com/ljubaphoto
※写真はイメージです

初めは「ちょっときついかな」と感じました。作業療法士が手を動かしてくれているときに、いつの間にか寝てしまうことも多かったです。

週刊誌が嗅ぎまわっていたようなので、病院内では偽名を使っていました。今でもリハビリ病院の看護師さんに突然偽名で呼びかけられてびっくりすることがあります。

《2017年9月、次期衆院選に立候補せず、政界を引退するとのコメントを発表した。当時の安倍晋三首相が衆院を解散したのは、その3日後だった》

当時はまだ初台リハビリテーション病院に入院中でしたが、どうも選挙が近いというとになって進退について考え、引退を決断しました。出馬すれば当選はできるかもしれない。だけど、この体でできることには限界があります。今までやってきたことと、これからできることとの落差が激しすぎると思いました。まだ50歳ぐらいだったら、障害者福祉のために国会議員を続ける選択肢もあったかもしれませんが、年も年(当時72歳)でしたしね。