企業が「頭のよい」人を選ぶのは合理的

だから会社が高学歴の「頭のよい」人を雇いたがるのは、合理的だといえる。学歴や偏差値を重視する傾向はだんだん減ってきているとはいわれているけど、未だに高学歴を歓迎する会社がたくさんあるのは事実。

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従って、勉強が苦手ではないならしっかり勉強しておいて、高学歴を手に入れることは学生にとっても合理的だということになる。残酷な話をしているようだけど、これが世の中の仕組みだ。

これからAIがさらに発達し、普及してくると「頭のよさ」の定義が変わる可能性はある。記憶力だとかミスをしないことの価値は下がり、創造性やリーダシップ、コミュニケーション能力といったことの価値が上がるかもしれない。

そういう変化を予想してもなお、君自身の頭脳に投資をしておくことは有益だと思う。勉強だけでなく、人間として幅を広げるような、よい経験をたくさんしておくとよいだろう。体を鍛えて、全力で遊んで、笑って泣いて、信頼できる人間関係を築きなさい。それが全部、頭脳への投資になる。

雇う側から見た「高給にしたい人」

給料は需要と供給で決まると書いたけれど、これを今度は雇う側から見てみよう。はっきり言うと、僕は自分の会社を儲けさせてくれる人になら、いくらでも高い給料を払っても構わないと考えている。1億円の利益を出してくれる人には、5千万円払っても高すぎるとは思わない。逆に、利益を出してくれない人には1円も払いたくはない。

でも仕事にはいろいろあるから、商品をたくさん売る人だけが利益を出しているというわけではない。その営業の人を支える事務をしたり、宣伝をしたり会計をしたりと、チームで役割分担をしていろんなことをやっている。そういう、間接的なことも含めて「役に立ってくれている」人には喜んでお金を払いたい。

「会社の利益を出すためにすごく役に立ってくれていて、かつ代わりの人を雇おうと思ってもなかなか見つからない」となると、そういう人の給料は高くなる。

日本の会社ではまだ年功序列制といって、会社に属する年数が長い人の給料が高くなるところがある。僕も社員の年齢が高くなって家族を養っているなら、少しは給料を高くしてあげないと大変だろうなとは思う。でも、ただ長くいるだけのことが給料を上げる理由にはならないと考えている。基本的にはその人の経験に価値があると思えば、高い給料を払うということだ。