「自分たちが慶應を体現」という幼稚舎生の特権意識

櫻井翔氏だけでなく、慶應出身の芸能人は数えきれないほどいる。現在、法学部には芦田愛菜さんが在学中だ。ただ、「彼女は外部ですよね」と少し見下すように話すのは30代の幼稚舎OG。幼稚舎出身者は自分たちのことを「内部」、中学以降に慶應に入ってきた生徒を「外部」と呼んで区別するのだ。芦田さんは都内の区立小学校から中等部を受験して慶應に入学したので、外部というわけだ。

慶應義塾幼稚舎
慶應義塾幼稚舎(写真=Harani0403/CC-BY-SA-3.0/Wikimedia Commons

これは「自分たちこそが慶應を体現している」という幼稚舎生のプライドの表れといっていいだろう。1874年(明治7年)に開学した日本最古の私立小学校であり、大学部の発足(1890年)よりだいぶ早い。慶応義塾大学までエスカレーター式に内部進学できる魅力は大きく、お受験界では最難関の小学校という位置を守り続けている。

「合格すれば、受験した本人に高いハードルを乗り越えたという達成感が生まれるのは当然。しかし、自分たちは特別だという意識を持つのは子どもにとってマイナスにしかならない。保護者には気をつけてほしいと伝えているのですが」(幼稚舎元教員)

幼稚舎から入ってきた生徒はどうしても、誇りと驕りばかりが高まる傾向が強いという。

「特に保護者が幼稚舎出身の場合、自身の生き方に疑いを持ったことがあまりなく、子どもにとってもそれがベストだと信じ込んでいる。家庭全体が慶應カラーに染まりやすく、親子ともども視野が狭くなっているのです」(同)

かつては近い親族に慶應出身者がいないと幼稚舎合格は難しいというのが定説だった。前出の塾経営者は次のように話す。

「一度調べたことがあるのですが、90年代あたりまでは幼稚舎の合格者の3分の1は2等親以内(親、祖父母、兄姉)に塾員か塾生(慶應の在学生)がいた。2等親までいかなくても、合格者の7割は近親者に塾員がいた。逆にいえば、そうしたコネを持たない受験者は明らかに不利だったのです」

最も有利なのは親や兄姉が単なる慶應というだけでなく、幼稚舎出身者のケースだという。こうした縁故枠疑惑を払拭しようと改革に乗り出したのは1999年4月に幼稚舎長(校長)に就いた慶應義塾大学教授(現名誉教授)の金子郁容氏である。

自身も幼稚舎OBである金子氏はとかく不審の目が向けられる同校の入試のあり方にメスを入れる必要があるとかねてから考えていた。まず行った改革は入学願書の祖父母の欄をなくしたことだった。それまでは氏名に加え、学歴や経歴まで書かせていた。両親に関しても、氏名だけを記入する方式に改めた。さらに、保護者面接をなくすことを決めた。余計な要素を排除し、受験者本人のパフォーマンスだけで判定しようというのである。

金子改革以降、完全に縁故枠がなくなったかといえば、まだ怪しいところも残っている。

慶應の創始者・福澤諭吉の玄孫やしゃごで人気ドラマ『VIVANT』も手掛けたTBSの演出家・監督の福澤克雄氏がイベントで挨拶に立ち、大物俳優の子どもを幼稚舎に「自分が入れた」と語ったのだ。場を盛り上げるためのリップサービスだったようだが、「やはり幼稚舎は今でもコネがないと入れないのだ」と思った人も多く、波紋を広げている。