「リアス式海岸、嫌い」

伊藤英理さん(大船渡高校2年生)。

大船渡では、廣野秀幸さんを含め6人の高校生に会った。全員が大船渡高校に通っている。同校は、震災後、三陸を中心に支援活動を続けるサッカー選手小笠原満男(鹿島アントラーズ)の母校でもある。2012年3月の卒業生211人のうち、75人が国公立大学に現役合格。就職者は5名ときわめて少ない。

伊藤英理(いとう・えり)さんは大船渡高等学校2年生(理系クラス)。自宅は太平洋に面した半島にある旧三陸町の綾里(りょうり)という町だ。『東日本大震災津波詳細地図(上巻)』を見ると、綾里の町は最大波高14.79メートルの津波に襲われている。

「自宅は大規模半壊とされました。リフォームしてまた住んでいます。家は自営業です。伊藤輪店、伊藤マリンサービスを父がやっています。自転車やったり、船つくったり修理したり、船外機直したりとか。あと、ガスの仕事もしていますので、父はガスコンロの修理に行ったりもしています。大船渡市議会議員もやってて、2期目です。お父さん、ギター上手いんです(笑)。アコースティック専門なんですけど、お兄ちゃんからもらったわたしのエレキ貸せば弾けます。お兄ちゃんは北海道教育大学の函館校に通ってます」

伊藤さんの通学時間は、震災がなければ今の3分の1になるはずだった。

「鉄道があれば、一直線に10分で行けます。今はお母さんの車で通ってます。朝は混み合って大変ですが、30分くらいですかね? バスは45分ほどかかるので朝は使いません」

取材後、参加してくれた高校生の家のガレージで焼肉パーティが行われた。こちらも参加させてもらい、炭火熾しに従事しているうちに夜が更けた。車で伊藤さんを家まで送ったのだが、遠かった。大船渡湾をぐるりと回り込み、車はカーブが連続する真っ暗な山道を延々と走る。車中で伊藤さんが言う。

「リアス式海岸、嫌い。海岸線、真っすぐにしたい」

大船渡は今、鉄道ではどことも繋がっていない。震災前は、南に向かってJR大船渡線が盛(さかり。大船渡駅のひとつ北にある)と宮城県の気仙沼を繋ぎ、北に向かっては盛から釜石までを三陸鉄道南リアス線が繋いでいた。綾里から大船渡高の最寄り駅である盛までは、わずか2駅。三陸鉄道は来年春には吉浜~綾里~盛で運行を再開する予定だ。伊藤さんの高校生活最後の1年には間に合うことになる。一方で、JR東日本は気仙沼~盛間の復旧計画を発表していない。来春からBRT(Bus Rapid Transit, 専用路線走行バス)を走らせることだけが予定されている。

さて、伊藤さんは将来、何屋さんになりたいですか。

「アメリカに行く前は、教員とか英語関係に興味があったんですけど、でもアメリカに行ったら、その考えが飛んだっていうか、何かまったく世界が違って、今、いろんなのに興味が出てきちゃって、興味がありすぎて、いろんなことが魅力になって、なりたいのがわからなくなったみたいな。まず教員、栄養士。あと、ざっくり国際関係、英語と関わりたいと思って。あと、向こうでボランティア活動的な話を聞いた時に、医療の方にも興味を感じて」

「TOMODACHI~」に行って視野が広がった。そう語る高校生は実に多い。だが、伊藤さんはそのことを「損したなと思って」と表現した。

(次回に続く)

【関連記事】
300人の孫正義-14-大船渡の発見
仕事観、人生観……震災は人をどう変えたか
なぜ若者は被災地に移住したのか?[第1回]
ルポ「壊滅」南三陸町の慟哭そして
柳井正VS孫正義 特別対談「起業は50代からがいい!」(1)