産業用から観光用にシフト
当時の小樽ではガラス産業は決して「主たる産業」ではありませんでした。しかし、それがある種の特色ある産業として残り続けたというところに、この街ならではの特徴があります。
やがて戦後になると、小樽運河の埋め立てや歴史ある倉庫群の解体が議論されるようになり、景観保存に向けた市民活動が盛り上がっていきます。その際に、たまたま小樽で生き残っていたガラス屋さんやランプ屋さんが注目を浴びることになりました。そのガラス屋さんの若い社長が、「これからは産業用ではなくて、観光用のものに注力すべきではないか」と訴えたことが、今日の北一硝子さんの成功の始まりだと言われています。
さらに、本州ではアトリエとしての小樽に目をつけていた方もおられ、そうした方々が入ってきたことにより、現在のガラス産業は「観光」に焦点を当てた形で、小樽を代表する産業になったというのが一連の経緯です。
今や「歴史ある落ち着いた街」と見られる小樽ですが、それをイメージづける物品に注目すると、意外にも『ゴールデンカムイ』の舞台となった時代にルーツがある。こう考えると、街の見え方も変わってくるはずです。