「みっともない面や、どうしようもない面もひっくるめて」とは言うが…

モデルがいても人物像は完全にオリジナルで作られた『らんまん』と異なり、『ブギウギ』は笠置シヅ子という人間をそのまま立体化したからこそ、史実に縛られる窮屈さと、不都合な部分にフタをする曖昧さを強いられたのかもしれない。

戦後の芸能界の闇を直視する骨太な作品を期待していた層の中には、吉本の御曹司との破談が美化され、ジャニー喜多川も登場せず、美空ひばりとの因縁もマイルドになるなど、全体的にふんわりした「良い話」に着地することに肩透かしを食らった人も多かっただろう。

脚本の足立紳氏は、各種取材で「人間の良い面だけでなく、みっともない面や、どうしようもない面もひっくるめて書いています」「人間のみっともなさとすてきさは、ほとんどイコールみたいなもの」などと度々語っている。

実際、スズ子を独占しようとした養母や、嘘をつく人々、誘拐未遂犯や、その犯人をスズ子が許容して雇うカオスなくだりなどは、足立氏の描きたかった世界が明確に見える気がした。

その一方で、現代にまでつながる芸能界のドロドロした部分、嫉妬やズルさ、醜さには触れず、美談としてまとめている。

母親の存在はフィーチャーされているが父親の扱いが妙に軽い、「同郷の親友」のはずが思い出しもしない、憧れの先輩が遺した子供と音信不通になるなど、サブキャラクターたちへの愛情が薄く感じたのも不満の1つだった。

役者陣の魅力とステージパフォーマンスは圧巻だった一方で、実在のモデルがいる人物を主役に据える難しさも感じた。「勢い」と「雑さ」が紙一重の、朝ドラらしい朝ドラだった。

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