「読みが上手い」ことが強みだった

たとえば僕にとって、野球の面白さは、“間”にある。動かない、静の時に、次のプレーを読む。バッターは次にピッチャーがどう投げるのか。ピッチャーはバッターがどんな球を待っているのか、そして守備陣もバッターの心理、能力を読んで次のプレーに備える。野球の面白さは読みに尽きるわけ。

ベースを踏む野球選手の足元
写真=iStock.com/kontrymphoto
※写真はイメージです

次、次、次を読んでいく。読まないで野球を見るのは実につまらない。読みのうまい解説者の話を聞いていると面白い。だけど読みのヘタな、はずしてばかりいる解説者はダメでしょう。野球のプレー自体がうまいヘタは関係ない。名選手じゃなくても読みのうまい人はいる。どっちかというと僕はそのクチかな。

偶然ではあるけど、野球を断念して作家になろうと思ったのは、今から思うと、つじつまが合う。俺は読みができる、うまい、だから作家になろうと思ったわけじゃないけど、読みという点では野球と作家には共通点がある。

作家だって誰も面白がらないような日常の出来事を深読みして面白がり、ドラマを作るわけだから。だから今の僕は、その“読み”の面白さをテレビで表現しているんだと思う。声の良さとか顔にこだわる必要なんかなかったのかもしれない。

創業経営者たちもコンプレックスと戦ってきた

しかし、コンプレックスとの戦いをやってきたことは、僕にはすごくプラスだったと思う。挫折、コンプレックスというのは、ピントはずれ、見当はずれの突進ゆえに生ずるものなんだと思う。自分に合っていないことをやりたいと思ったり、相性の合わない女性に惚れてしまったりとね。

しかし、相性、自分の才能が発揮できるターゲットというのは、じつは見当はずれで突進したすぐそばにある。そういうものなんだ。最初にこれだ、と思ったもののすぐ脇にある。しかしそれを見つけるには、挫折してコンプレックスを感じて、猛烈にあがく必要がある。必死にあがくことで、となりのターゲットが発見できる。必死のあがきをやらないで、いきなり自分の才能にぶち当たれるわけがない。

とりあえず好きなことをやってみる。そこでコンプレックスを感じる。戦う。もがく。その過程、体験の中で自分の進むべき新しい可能性を発見できるんだと僕は思う。いつか、創業経営者10数人取材したことがあるけど、多かれ少なかれ、コンプレックスとの戦い、自分との戦い、この戦争をやっている。しかも、彼らのほとんどが共通して、同じような体験をしているんだ。

自分との戦い、それを克服するために、突破するために、たぶん血みどろの戦いをやって、そして新しい自分の可能性、才能を発見する。それを自分を克服したというんじゃないかな。心が開けたといってもいい。そして強烈なエネルギーが出てくる。その中で決断力、判断力もついてくる。京セラの稲盛和夫さんやヤオハンジャパンの和田一夫会長、彼らは同じような体験をしているんです。