多数派である白人は自分たちの差別意識に気づいていない?

マイクロアグレッションの特徴の1つに、加害者が自分の行為に気づかない、ということが挙げられる。ダメージを避けるために、アカデミー賞のように世界の衆目を集める場で、アジア人の同輩に対しどのように振る舞うべきか、彼らは知っておくべきなのだ。もちろん日常生活でも、同じように振る舞うべきだが。

ではこの2つのケースで、彼らはどうすればよかったのだろう。一言で言えば、ロバート・ダウニー・Jr.はキー・ホイ・クァン、エマ・ストーンはミシェル・ヨーの存在をきちんと認めて応えればよかったのだ。英語で言う「acknowledge」をするという行動を取ればよかった。例えば、目を合わせて握手やハグをしたり笑顔で短く言葉を交わしたりするという、ただそれだけのことだ。

ロバート・ダウニー・Jr.はクァンからトロフィーを受け取る時、そうすれば良かったし、エマ・ストーンはミシェル・ヨーではなく、ジェニファー・ローレンスからトロフィーを受け取る形になっても、その場ですぐヨーに対し、皆にわかる形で謝意を示すべきだった。またローレンスもヨーに対し、授与役をさせてもらったことを感謝するしぐさをするべきだった。それが「acknowledge」する行為を通じて、リスペクトを示すということだ。

だが、彼らはそうした行動を取らなかったので、本意ではなかっただろうに、まるで植民地時代や奴隷制の下、非白人を無視して平気な白人植民者であるかのようにも見えてしまった。

ビジネスの会議をする白人とアジア人
写真=iStock.com/John Wildgoose
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「エマの親友と一緒にトロフィーを渡したかった」と言ったミシェル

ここでもう一つ考えたいのは、ミシェル・ヨーの対応だ。ヨーはインスタグラムで「エマ・ストーンの親友であるローレンスと一緒に、トロフィーを渡したいと自分が考えた」と明かした。これをどう考えるべきだろうか。私から見ると、ヨーの意図は成功したとは言えない。上記で述べたように、もしそうであるならヨーの計らいに対して、ストーンとローレンスが謝意を示すジェスチャーを取らないと、この目的は完遂しない。それなしには、2人の態度が失礼に見えてしまうことに変わりはないからだ。

エマ・ストーンがミシェル・ヨーに、トロフィー授与時に即座に謝意を示さなかったのも、ミシェル・ヨーの意図が正確に伝わらず、とまどっていた可能性もある。