「天才かもしれないけど、でも、それはすごい努力家だから」

ある総監督兼劇場主が小澤さんに「明日、打ち合わせの時間はあるか」と尋ねてきた。小澤さんは即座に「勉強しなければならないから取れない」と返す。総監督は「30分でいいんだ、食事のときでもかまわない」と迫る。しかし、小澤さんはこれも突っぱねた。総監督は「あなたは明日食事もしないのか」と詰め寄った。そこでようやく小澤さんは「15分だけでいいなら」と言う。実際、翌日、小澤さんはこの15分以外は自室にひとり籠り、ひたすら演奏会のスコアと対峙しつづけたのだ。食事は自分で簡単につくってすませた。この日の演奏会の曲目は9曲と多く、どうしても勉強時間が欲しかったのだ。

小澤のもとで学んだひとりは「あの人の勉強量は半端じゃない。人が言うように天才かもしれないけど、でも、それはすごい努力家だからだと思う。あんな努力する人は見たことがない」と評した。

若者たちを教えることには惜しみなく時間を割いた

ただ、目上の人からの呼び出しを断るほど忙しい日々が続いても、小澤さんは若い人を教えることには惜しみなく時間を割いた。「音楽塾オペラ・プロジェクト」「奥志賀の勉強会」など、10代20代の若き演奏家のために小澤さんはまた全力を注いでいたのだ。

なぜ超多忙の中で、若者たちを教えるのか訊くとこんな答えが返ってきた。

「教えるっておもしろいんですよね。特にいい子がいるとね。僕なんかいい弟子がいて教えるとのめり込んじゃうから危なくてしようがないんですよ。いまの若い人、知識というか学力は僕らの若いときを超えてますから。ただ、音楽の場合、いかに表現するかで学力とか知識の及ばない世界でもありますからね。そこが難しいところなんですよ。来たお客がよかったな、って帰るのは別に技術じゃないんですよね。もちろん、技術があってこそできるんだけど、スタイルがちゃんとしてないと納得できないわけです。独りよがりになっちゃう。その人間性、表現力を教えるというのは大変なんです。それはもう、音楽を一緒にやるよりしようがない、ということがこの頃わかった」