オスの約30パーセントが群れ同士の戦いで死んでいる

チンパンジーの集団のなかにはこんにちまで50年間、観察が続けられているものもあり、観察された全集団にわたって、最終的に成体のオスの約30パーセント、メスの5パーセントが群れ同士の戦いで死んでいる。チンパンジーの集団の縄張りは、ヤノマミ族の村よりもずっと小さく、集団間の距離はおよそ5から6キロメートルだった。

だが、チンパンジーは、ほとんどすべての時間を縄張りの中央の3分の1で過ごした。縄張りの残りは、近くの群れに奇襲されて殺される危険があるために、資源が同じように豊かでも「緩衝地帯」となっていて、大きな集団でしか訪れなかった。(※2)

幻想に対する警鐘が鳴らされた。アーネムランドのムルンギン狩猟採集民、アマゾンで栽培をするヤノマミ族、ゴンベのチンパンジーに関するデータや資料は、現代文明が経験した以上の割合で犠牲者を生む戦争が、はるか昔から行なわれていたことを示していた。考古学者たちは関心をかき立てられ、化石記録からヒトやその近縁種の戦争の証拠を探しはじめるようになった。それを見つけるのに、長くはかからなかった。

10万年前のネアンデルタール人の化石にも、槍を突き刺した傷が

75万年前のホモ・エレクトスの化石からは、頭蓋骨の陥没骨折(おそらく棍棒によるもの)などヒトが使う武器によって加えられた暴力のしるしや、肉をそぎ落として共食いをしたことを示す傷が見つかった。

このような殺害のあとには複雑な浄化の儀式が行なわれることが多く、その一部として人肉を食べることもよくあった。また4万年から10万年前に遡るネアンデルタール人の化石からは、肋骨のあいだに槍や石刃を突き刺した傷が見つかり、さらには集団墓地も発見された。(※3)

加えて最初の文明が台頭するわずか数千年前に、戦争が行なわれたにちがいないと思われる大量殺戮の痕跡が見つかった。たとえば、およそ1万年前にケニアのトゥルカナ湖の西にあるナタルクで男性、女性、子どもが合わせて27人虐殺された。

ほとんどが撲殺か刺殺(6人はおそらく矢で殺された)で、埋葬されることなく腐った。メディアには新発見として扱われたが、これは有史以前におけるヒトやヒト科の動物の何万、何十万という類似の出来事のうちのひとつにすぎない。


※1 Richard Wrangham and Dale Peterson, Demonic Males: Apes and the Origins of Human Violence, Boston: Houghton Mif flin,1996, 17〔邦訳『男の凶暴性はどこからきたか』山下篤子訳、三田出版会、1998 年〕
※2 Stephen A. LeBlanc and Katherine E. Register, Constant Battles: The Myth of the Noble, Peaceful Savage, New York: St. Mar tin's Press, 2003, 81-85
※3 同上、94-97

オスロ合意から30年…イスラエルとパレスチナ「二国家共存」のゆくえは?「和平交渉を引き延ばして…」〉へ続く

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