「バブル期の地価高騰」が乱開発の原因と誤解されやすいが…

投機目的で分譲された「限界ニュータウン」の話をしていると、交通不便なへき地に住宅分譲地が開発された理由として、しばしばこの「バブル期の地価高騰」が原因であると誤解されてしまうことがある。

だが実際には、投機型分譲地の販売が最も隆盛だったのは70年代の初頭であり、地価狂乱のバブル時代は、そもそも大型分譲地を開発できるような好条件の立地はすでに価格が高騰していて、よほど資金が潤沢な大手デベロッパーでもない限り、投機の対象として容易に取得できるものではなくなっていた。

もちろん、バブル期においても投機型分譲地の開発・販売がなくなっていたわけではなかったが、すでにこのころには70年代の「原野商法」も次第にその実態が顕在化して問題視され始めており、投機の対象として必ずしも主流であったとは言えない。

ただ、イメージとして、「バブル期の地価高騰」が、乱開発の原因として一番わかりやすく、すんなり受け入れられやすいであろうことは理解できる。実際僕自身も、千葉県の限界ニュータウンについて本格的に調べだすまでは、漠然としたそんなイメージを持っていた。

湯沢のリゾートマンションは「ゴージャス」

一方で湯沢のリゾートマンションの場合、実際にその多くがバブル期に竣工されているうえ、用途が用途だけにその造りは贅を尽くしたものが多い。これは湯沢のリゾートマンションに入ればすぐにわかるが、エントランスからして、当時の一般的なマンションとは造りが大きく異なる。

共同の温泉大浴場などはあって当たり前のもので(ないところもあるが)、スポーツジム、プール、スキーロッカー、そして今は休業しているところが多いもののレストランなど、まさに今日我々が想起する「バブル時代」のイメージをそのまま体現した造りになっている。多くは東京のデベロッパーが分譲したマンションなので、一般的によく知られたブランド名のマンションもいくつかある。