家屋もまばらでほとんどが空き地のまま放置されているような超郊外の分譲地「限界分譲地」。その限界分譲地と共通の課題を抱えるのが、リゾートマンションだ。
マンションというものはその性質上、必ず管理費が発生するもので、既に利用する機会がないにもかかわらず管理費の負担義務だけが常に発生してしまうところが「負動産」のイメージを強めている。
では、実際にどのようなリゾートマンションが、世間に「負担感」を印象づけているのだろうか。ここでは、限界ニュータウンや限界分譲地の現状を取材する吉川祐介氏の著書『限界分譲地 繰り返される野放図な商法と開発秘話』(朝日新書)より、一部を抜粋して紹介する。(全2回の1回目/2回目に続く)
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空前のスキーブーム、交通アクセス改善、首都圏地価高騰が後押し
すでに数多くのメディアでも取り上げられている話なのでご存じの方も多いと思うが、関東近郊屈指のスキーリゾートとして知られる新潟県湯沢町は、バブル期に局地的なリゾートマンションの建築ラッシュに沸きあがった。
湯沢町の市街地から遠く離れた、苗場プリンスホテルが位置する苗場エリア周辺では、70年代半ば以降から既にリゾートマンションの建築は続いていたが、1982年に上越新幹線の越後湯沢駅が開業し、続けて1985年に関越自動車道路の前橋IC~湯沢IC間が開通すると、アクセス性が格段に向上した湯沢町では、瞬く間に東京のマンションデベロッパーが大挙して群がるリゾートマンション建設ラッシュが起こった。そのすべてが、冬季のスキー客の需要を見込んで建築された別荘用途のマンションである。
湯沢町にマンション建築が集中した理由として、交通アクセスの急激な改善と、時を同じくして到来していた一大スキーブームによって、苗場周辺を含めた湯沢町では宿泊施設の供給不足が続いていて、ハイシーズンの宿泊予約が困難だったということもあるが、もうひとつ別の要因として、この時期から、バブル期における地価高騰の兆しが首都圏で発生し始めていて、一般的な居住用マンションの分譲販売では、地価が高すぎて採算が取れにくくなっていたという事情もある。
マンション販売は、一般の宅地分譲と比較して立地の選定はどうしてもシビアにならざるを得ず、いくら地価が安いからと言って交通不便なへき地に大型マンションを建てることはできない。
そのタイミングで、空前のスキーブームと交通アクセスの改善が同時に訪れた湯沢町が、新たなマンション事業展開の場として格好のターゲットになったというわけだ。