そこで家康は坂崎直盛(出羽守)に命じ、戦乱のなか千姫を救出させる。家康はその功績で坂崎に1万石を加増し、千姫との結婚の口約束までした。
大坂の陣当時、千姫は19歳の美人だったという。坂崎が舞い上がるのもムリはない。
だが大坂から江戸に送り届けられる途中、千姫は、船の主である桑名城主本多忠刻(ただとき)に一目惚れしてしまう。このとき忠刻は、千姫より1歳年上。
19歳の女の子が、忠刻を選ぶのは当然。
翌元和2年(1616)、千姫は、本多家が播磨国姫路に移封になるのに合わせ、化粧料10万石を持参して輿入れすることになった。
怒った坂崎は「千姫を奪う」と騒ぎ、輿入れ行列を襲う計画を練ったという咎(とが)で、幕府から切腹を申しつけられるが無視。家臣が先走りして坂崎を討ったことで御家断絶となる。
坂崎が大坂城から千姫を救い出した、千姫が忠刻に一目惚れした、坂崎が奪還計画を立てた……といったエピソードは嘘臭く、眉に唾したくなるが、有名なので書きおく。
千姫は、忠刻とのあいだに一男一女をもうけ、忠刻と息子が他界したのち江戸にもどる。
江戸にもどった千姫が夜な夜な男漁りをした、というご乱行エピソードも、また伝説。
それだけ千姫が美しかった証左かもしれないが……。
世の男性諸賢、坂崎のように身を滅ぼしてしまわぬよう、若い美人には、くれぐれもお気をつけください。
千姫は、四代家綱の時代の寛文6年(1666)に70歳で大往生した。