期待しないことは難しくても自分の感情に気づくことはできる

例えば、子どもが部屋を片づけない状況に対して怒りが出てきそうになったとき、「あー、結構イライラしてるねー。まあまあ、ちょっと考えてみよう。毎日片づけるのって大人でもめんどいじゃん? でもさ、ほら見てみなよ。あの子、お菓子の空袋はゴミ箱に捨てられてるみたいだからさ、そこは褒めてあげてもいいんじゃない?」といった具合に、自分の感情に注目して、自分が自分に語りかけるイメージで対話をします。

すると、「怒りの種(子どもへの過度な期待)を持っていたのは自分で、それをまいていたのも自分だったのかも?」と、怒りの正体である裏切られ感にそれとなく気づくことができます。

子どもに一切期待しないのはとてつもなく難しいですが、自分が持つ子どもへの大きな期待に気づくことはそこまで難しくありません。この方法は自分の怒りに気づくトレーニングにもなりますので、ぜひともお試しください。

叱ることで子どもを動かしていると何が起きるか

「子どもを叱ったほうがいい派」と「子どもを叱らないほうがいい派」の議論をたまに見るのですが、私は「叱ってもあんまり意味がない派」です。

これは「絶対に叱っちゃダメ! 叱らないほうが効果的!」と考えているわけではありません。子どもが道路に飛び出したときなど、安全を守るためには叱ることも必要です。一方で、子どもに危険が迫っていない場面では、基本的に「叱ってもあんまり意味がないな……」と考えながら子どもと接するようにしています。

例えば、宿題をせずにずーっとスマホを触っている子に、「スマホやめて宿題しなさい!」と強く叱ったとします。おそらく、その子はスマホをやめて宿題をすることでしょう。「じゃあ叱るって効果あるじゃん!」と思われるかもしれませんが、ここからが本題です。

宿題をせずスマホを見ていた子が、強く叱られたことによって宿題に取り組んだ結果になりました。しかし、この行動は、子どもの内側からの「宿題をやろう」という思いをベースとした自発的な行動ではなく、外側から「宿題をやりなさい」と叱られたことによって引き起こされたものです。つまり、「宿題をしている」ではなく、「宿題をさせられている」という思いで、宿題に取り組んでいるということです。この状況が毎回続くと、「宿題はやらされるもの」という認識が強くなり、宿題に対して強い拒否感を持つ可能性が高くなります。

子どもの行動を大人の「叱る」という行動で半ば強制的に変化させ続けると、子どもの「させられ感」を育ててしまい、自分の力で自分の行動をコントロールしているという実感が損なわれてしまいます。