AIに置き換えられる人間の特徴

先に言及した学校の話に戻ろう。これらの学校が人工知能時代の新しい教育として哲学を選択した理由は簡単だ。

哲学は、人間固有の能力である共感能力と創造的発想力を目覚めさせる最高のツールだからだ。つまり、哲学する人間はAIに置き換えられることはない。AIの支配者になるのだ。逆にいえば、哲学する能力を持つことができなかった人間は、AIに置き換えられてしまう。AIの奴隷になるともいえるだろう。

過去には、既存の知識と技術をしっかり習得するだけで、誰でも社会に役立つ人間になることができた。しかし、これからは違う。共感能力と創造的発想力を持たなければならない。それが、先進国の学校が第4次産業革命時代を迎え、教育の中心に哲学を据えた理由だ。

さて、ここでこんな問いを投げかけてみよう。「先進国の未来型学校が追究する“哲学”とはどのようなものだろうか? 私たちの知る“哲学”と同じものだろうか?」

名門校が教える「哲学」の中身

かつて私は著書『考える人文学』で、次のように記した。

「古代ギリシアの哲学者にとって“思考”とは、永遠に変わることなく、永遠に存在する真理の世界を認識する行為だった。彼らはこの行為を『ノエシス(νόησις)』と称した。そして、哲学する人だけが、ノエシスをできると宣言した。そうして彼らは、ノエシスを通じて輝かしい古代ギリシア文明を建設した。

(……)古代ローマのアウグスティヌスは、古代ギリシアの『ノエシス』に相当する『コギト(cogito)』、すなわち哲学的思考を通じて、約千年にわたる中世ヨーロッパ文明の門を開いた。デカルトもコギトを通じ、近代ヨーロッパ文明の門を開いた。そして、ラテン語のコギトに相当する英語の“think”は、現代ヨーロッパ文明と現代アメリカ文明を作った。

人文学的意味の“think”は、単純な意味での『考え』ではない。新しい人類文明を創造し、既存の人類文明を改善する行為だ」。

未来型学校が追究する哲学的思考力は、トリビウム(Trivium)を通じて育てることができる。

トリビウムとは、「3つの」を意味するラテン語“tri”と、「道」を意味するラテン語“vium”の合成語だ。哲学(人文学)を実践する3通りの道である文法学、論理学、修辞学を意味する。

「文法学」は哲学書を読んで内容を理解すること、「論理学」は哲学書で悟った哲学者の思考法をツールに自分自身の思考をすること、すなわち自分の論理を作ること、「修辞学」は自分の考えを文章にしてシェアすること、すなわち他の人々の共感を得ることだ。

ハーバード・MITのような世界最高の大学、シリコンバレーの私学、アメリカ・ヨーロッパの未来型私学がトリビウムの中でも最も重要と考えているものがある。それは、修辞学だ。

そして、これらの教育機関では、とりわけ作文に重点を置いている。