「人に裏切られるのが大好き」な理由
「裏切り」は、人との信頼関係を破壊するものです。裏切られると、それまで育んできた関係が瓦解するとともに、裏切った相手への怒り、憎悪が掻き立てられます。失望や絶望も湧いてくるかもしれません。
でも私は、人に裏切られるのが大好きです。相手にはいっさい腹も立たないし、「仕返しをしてやろう」とも思いません。ちょっと変かもしれませんが、快感のようなものさえ感じます。
というのも、私は裏切りを「人の営みのひとつ」だと思っているからです。
「裏切られた」と思うということは、私が「その人に期待していた、信頼していた」ということです。期待や信頼をしなければ、裏切るも何もありません。
そして、裏切りという行為に、相手の人間的エネルギーを感じてうれしくなってしまうのです。
「あいつ、ほんまに期待していたのに裏切るのか。やっぱりあいつも人間やな。この俺をよう裏切ったなあ。大したやっちゃなあ。裏切られたのが俺でよかったなあ」
そんなふうに思います。
自分を信頼してくれていた人を裏切ることは、並大抵のことではありません。きっとその人の中で葛藤があったでしょう。でもその中で、私ではないほうを選んだわけです。
申し訳なさとか、利益への欲望とか、あるいは相手を苦しめたいという邪心とか、「裏切る」という行為に至るまでに、ものすごくドラマチックな心の動きがあったはずです。それを考えると、そこに強烈な人間的エネルギーを感じてしまうのです。
まさに人間の生存活動です。
「この人も生きているんだなあ」と感じられる
私は、裏切りをした人に対しては「日々懸命に生きている人が、そのときの立場や状況においてベストの選択をした」と受け止めています。私は私の考えをもっていて、でも相手は違う人間で、その人なりの考えをもっている。それが一時期交わり、そして離れていく。人間っておもしろいなあと、しみじみ実感する瞬間です。
もちろん政治家というのは裏切られることが多いですから、裏切りに対する気持ちをプラスの方向に転換しようとする自己防衛本能みたいなものが働いている可能性もあります。「裏切る」という相手の判断をあえて尊重することで、自分の心のバランスを取っている面もあるでしょう。
それでもやっぱり、「この人も生きてるんだなあ」と感じられるので、私は裏切られるのが好きなんです。
それに、裏切った相手を恨んだところで、得るものは何もありませんから。
みなさんはいかがでしょうか。