思わず笑ってしまう、戦慄してしまう誤変換・入力ミス
スマホに頼りすぎる毎日、気付いたら誤変換のまま送信しそうになることがよくあります。誤変換にはいくつか原因があり、一つ目は自分自身のミス。加齢により目が悪くなるに従って、誤変換のまま気付かず、意味不明な文字を送ってしまうことがあります。
先日も、誤変換というか手が滑って、仕事関係の知人に「また拝見させてください」と送ったつもりが「まら拝見させてください」と書いていたことに気付いて赤面。あられもない要求が来たと思われたのか、それ以来知人とは音信が途絶えてしまいました。
このようなケアレスミスをしないために、送信前に一度気持ちを落ち着けて再確認するのが必要です。自分の間違いは恥ずかしいですが、友人知人の誤変換や誤字は日常にちょっとした笑いをもたらしてくれます。先日も、年上の女友達が「福袋」を「腹部」と書いて送ってきて、少し楽しい気分になりました。
誤変換の原因の2つ目は、その時の自分の状態を表す誤変換。オカルトっぽい話になりますが、自分がネガティブな波長になっていたり、運気が下がっていたりすると、誤変換にもそれが現れることがあります。スマホと現代人はほぼ一体化しているので、それだけバイオリズムが同期しやすいのでしょう。
過去にはこんな不吉な誤変換がありました。例えば「今日」と打ち込もうとしたら、なぜかまっさきに「凶」と変換される。「個人的に」と打ったらなぜか最初に「故人的」と出たことも。ちなみにその日はちょうど故人の話をしていたのでゾクッとしました。
「今朝」と打ったら「袈裟」と出て、しめやかな気持ちになったこともありました。「仮装大賞」と打ち込もうとしたら「火葬対象」と出てきて軽い恐怖を覚えたり、「視察したい」が「刺殺したい」になったり、「梅祭」と入力しようとしたら「埋め祭」になったりすると、自分の深層心理にある猟奇的な一面があぶり出されたのかもしれない、と思えてきます。何度変換しても「歴史」が「轢死」になった時は、霊的な存在に訴えかけられているのかと思いました。「車」と打とうとしたら最初に「陣」と出た時は、平安時代の雅なヴァイブスを感じました。「有限会社」が「幽玄会社」になったり、「入館」が「入棺」になったり、この手のオカルティックな誤変換はあとを絶ちません。
不吉なフラグ的な変換で、ちょっと怖かった体験もあります。「仕事」と打とうとして「死事」に変換された時。その直後に駅の階段で足を踏み外しそうになりました。見えない負のエネルギーが変換に影響を与えているのでしょうか。反対に、不穏な変換が出てきたら気を引き締めることで、大難を小難に抑えることができるかもしれません。