「印税生活」は夢のまた夢
「抜き刷り」10部とともにその本のチラシが同封されていた。チラシには、図鑑のような堂々たる本の写真が掲載されており、1冊1万6000円(税抜)の定価がついていた。
この本では3000円の印税が出ることになっていた。しかし、本を1冊でも買ってしまえば、印税は相殺どころか私の持ち出し(*1)になる。これは、なんとしてでも本を売りたいという出版社側の狡猾な戦術(*2)であろう。そんな戦術に乗ってなるものかと沈思黙考したが、専門分野のリサーチに使えることもあり、泣く泣く研究費で1冊だけ購入したのだった。
私が出した10冊の書籍の収支決算をすれば、学術書を出す際に自腹を切った費用にくわえ必要な書籍・資料・データ収集の代金と、一般書の印税が相殺されてプラスマイナスゼロというのが実際のところだ。マイナスにならないだけ恵まれているともいえ、とてもじゃないが「印税生活」など夢のまた夢なのだ。
学生の中には、私が自著を授業テキストにすると、「多井は、自分の本を買わせて、フトコロを肥やしやがって」などと不満を持つ者もいる(さすがに面と向かってそう言われたことはないが、腹の底ではそう思っているだろうと推測している)が、これが現実。出版とは決して甘くない世界なのだ。授業テキストに採用など期待すべくもない本作の売行きは果たしてどうなることやら……。
(*1)私の持ち出し 大学業界には、本を書くと研究仲間に献本しあう習慣がある。場合によっては、数十冊を献本することもあり、その購入金額もバカにならないのである。
(*2)出版社側の狡猾な戦術 出版界と大学業界を震撼させた「亞書事件」をご存じだろうか。「国立国会図書館法」という法律により、出版社は発行した本を1冊、国立国会図書館に寄贈することになっている。その対価として、本の本体価格の半分と郵送料が、国立国会図書館から出版社に支払われる。2015年、りすの書房という出版社から1冊6万円の『亞書』78巻が各1冊ずつ国立国会図書館に寄贈された。国立国会図書館はまず42冊分の定価5割にあたる約136万円を同社に支払った。ところが『亞書』がネットで問題視され、その内容を調べてみたところ、ギリシャ文字などをランダムに並べただけであることが判明。同社の『亞書』以外の本についても調査したところ、聖書などをもとに超高額な値段設定の本を多数寄贈し、対価として600万円以上を受け取っていたことが判明した。まさに国立国会図書館法を悪用した狡猾な戦術といえよう(事件発覚後、りすの書房は解散)。
文章はめちゃくちゃ、テーマはぼんやり
現在の学生と接してみると、われわれ世代の常識が通用しないことがある。「授業でレポート、ゼミ論文や卒業論文を書くんだよ」と言うと、「授業時間内に執筆するのですか?」と真剣に聞き返してくるゼミ生がいる。無論、わずか100分で論文など書けるはずもない。
リサーチも含めれば何時間も要するものだと、その説明からしなくてはならない。こんな調子だから、レポートや論文は提出時に仕上がっているわけもない。「て・に・を・は」の使い方もおかしく、前後の関係や文章としての脈絡も欠如していて、読んでいるうちに胃がムカムカしてくるものも多い。これに懲りて、私の場合、必ず最低一度はレポートや論文に赤字を入れて、書き直してもらうことにしている。もうひとつの問題は、学生の選ぶテーマがあまりにも多岐にわたることだ。
ゼミでは「北米地域研究」と称し、カナダ・アメリカの政治・外交・社会に関わることなら卒論のテーマにしてよいことにしている。ヒップホップが大好きだという滝川君は卒論のテーマを「ヒップホップがなぜアメリカで流行っているのか?」にしたいと申し出た。これもアメリカの社会に関わることであり、ダメというわけにはいかない。