ビジネスをしている側からすれば、ファンが好きでカネを払ってライブに来たりグッズを買ったり、ハマっているのだから、人気のあるうちに吸い上げられるだけ吸い上げて、旬が過ぎるまでに最大の収益を上げようとするのが常道とも言えます。コンテンツビジネスとはそういうものだ、と割り切って、推しは尊い、推しは推せるときに推せと教条的でほとんど宗教とも言えるような行動原理を消費者に強いる構造が、そこにはあります。

アイドルや声優やアナウンサーたちが、異性を相手に人気を博すほど、そういう人たちの人生の出口戦略は難題になります。最近では、芸能界のようにある程度現実から切り離された世界だけでなく、ただのVTuberの中の人でも起きてしまうから深刻です。

受け手の側も、うすうす、推しているただ一人のアイドルという貴重な存在がいるにしても、単なる消費者に過ぎないお前がいくら着飾ってライブに来ようが振り向いてもらえないことは分かっています。万に一つのチャンスに期待して、万馬券よりも確率の悪い高嶺の花に殺到し、スパチャで高いカネを突っ込み、グッズを買い、わずかな時間だけでも対応される握手券を求めるのです。

推しはともかく、推しビジネスの罪深さはここにあります。完全に、騙しにいっているわけですから。声優にせよホストにせよジャニタレにせよ、実現不能な疑似恋愛をカネに替えるという意味で、先に逮捕された頂き女子のおじを騙すテクニックに通じるダークパターンによって構成されています。

宗教団体が悪になるのと似た構造

推しは尊くともビジネスとして深いのは、見返りのない奉仕にカネを突っ込む不合理さを正当化させるプロセスそのものにあります。いわば、現代における新興カルト宗教と同じです。宗教自体は悪ではないが、宗教団体が悪になるのと構造としては似ています。

心情的な応援という意味では無理のない範囲内でライブに行こうとしたり、グッズを買ったりという行動は、自身の生活が破綻しない限りは、民主主義国家において愚行権のレベルで本人の自由であり、好きにしたらいいじゃないということで放置されます。ただし、そこに拭い難い孤独があったり、容姿や所得の面で自己評価が低かったり、先を行く「同好の士」がいたりすると、人間は割と簡単にタガが外れるものなのだ、ということに愕然とせざるを得ません。

自分は普通の恋愛などできると思えない、ならば、空想の世界でも推しが振り向いてくれる世界に浸ってつかの間の幸せを得たいというささやかな願いが、結果として推しの気持ちを悪用したビジネスに巻き取られていくことになるのです。